ヴァシーリー・イヴァーノヴィチ «ノズドレヴァートィー»
Василий Александрович "Ноздреватый"
公 князь
生:?
没:1512
父:イヴァン・アレクサンドロヴィチ・ズヴェニゴローツキー公 (ズヴェニーゴロド公アレクサンドル・フョードロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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母親不詳 | ||||||
イヴァン | ||||||
ピョートル |
第17世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。モスクワ大公の勤務公。
1480年、アフマト・ハーンのモスクワ襲来に際して(«ウグラ河畔の対陣»)、ヴァシーリー・イヴァーノヴィチはクリム・ハーン国の王子ヌル=デヴレトとともにヴォルガを船で下り、防衛軍のいないサライを攻略した。
1502年、カザン・ハーンのアブドゥル=ラティフと戦い、これを捕虜としてモスクワに連行。モスクワに忠実なムハンマド=アミンをハーンに復位させた。
さらに同年、クリム・ハーンのメングリ=ギレイを支援してキプチャク・ハーン軍と戦う。