ヤロポルク・ユーリエヴィチ
Ярополк Юрьевич
ピンスク公 князь Пинский ?
生:?
没:?
父:トゥーロフ公ユーリー・ヤロスラーヴィチ (ヴォルィニ公ヤロスラーフ・スヴャトポールチチ)
母:アンナ (グロドノ公フセーヴォロド・ダヴィドヴィチ)
結婚:?
子:?
第10世代。イジャスラーヴィチ。
両親の結婚は1144年とされる。当然ユーリエヴィチ兄弟の誕生はそれ以降。ヤロポルク・ユーリエヴィチは一般的に五男(末男)と考えられているので、1150年代に入ってからと見ていいだろう。
1157年、父はトゥーロフ公となり、ようやく自前の分領を得た。
父は1167年か1168年に死んだものと考えられている。
この時点ではまだヤロポルク・ユーリエヴィチは10代半ばといったところだったろう。すでにこの時点でゴロデーツを分領としてもらったとする史料もある。確かに、長兄イヴァンがトゥーロフ、次兄スヴャトポルクがピンスク、ヤロスラーフがクレツク、グレーブがドゥブローヴィツァ、そしてヤロポルクがゴロデーツを、それぞれ領有したとなれば整然としていて気持ちがいいが(たとえば Wikipedia ロシア語版)、果たしてどんなものだろう。下の兄たち同様、せいぜい1182年頃にもらったのではないだろうか。
1190年、すぐ上の兄グレーブ・ユーリエヴィチがトゥーロフ公となる。この時、ヤロポルク・ユーリエヴィチはピンスクをもらったとする説がある。
没年は不明。