リューリク家人名録

ミハイール・イヴァーノヴィチ

Михаил Иванович

ヴォロトィンスク公 князь Воротынский
ボヤーリン боярин (1553-)

生:1510頃
没:1573.06.12

父:ヴォロトィンスク公イヴァン・ミハイロヴィチヴォロトィンスク公ミハイール・フョードロヴィチ
母:アナスタシーヤ (イヴァン・ザハーリイン)

結婚:?

子:

生没年分領結婚相手生没年その親・肩書き
母親不詳
イヴァン-1627

第20世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。

 カルーガ(1544-)、ヤロスラーヴリ(1545-)、コストロマー(1550-)、オドーエフ(1551-)、リャザニ・コロームナ(1552-)の総督を歴任する。
 1540年代、南部諸都市をタタールの来襲から防衛して名を挙げる。1547年と49年、カザンに侵攻。1552年、ロシアの南部国境に対するクリム・ハーン国の来襲を撃退する。同年、カザン遠征に従軍。1553年から62年まで、コロームナ、セールプホフ、オドーエフ、トゥーラなどの総督を歴任する。
 1562年、アダーシェフのシンパとして失脚。1566年までベロオーゼロに流刑される。
 その後再び対タタール戦で重用され、1572年にはモスクワに侵攻したクリム・ハーンのデヴレト・ギレイを破る。同年、リヴォニア戦争にも従軍。
 1573年、再びイヴァン4世雷帝の怒りを買い、投獄される。一説には処刑されたとも、あるいはベロオーゼロ流刑の途上で死んだとも言われる。同年に処刑されたオドーエフ公ニキータ・ロマーノヴィチとの絡みも考えられる(ふたりは同族)。かれらの死とともに、ヴォロトィンスクとオドーエフの分領はツァーリにより没収されたらしい。

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