イヴァン・セミョーノヴィチ «スホルーク»
Иван Семенович "Сухорук"
オドーエフ公 князь Одоевский
生:?
没:?
父:オドーエフ公セミョーン・ユーリエヴィチ (オドーエフ公ユーリー・ロマーノヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | ||||||
フョードル | ||||||
ロマーン | -1552 | |||||
ミハイール | ||||||
フョードル | -1547 |
第18世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。モスクワ大公の勤務公。
1474年、父が死ぬと、従兄弟フョードル(伯父イヴァン・ユーリエヴィチの子)とオドーエフを巡り争う。イヴァン・スホルークはモスクワ大公イヴァン3世大帝に臣従していたが、フョードルはリトアニア大公カジミエラス(ポーランド王カジミェシュ4世)に臣従しており、救援を求めた。しかしカジミエラスはフョードル・イヴァーノヴィチに援軍を送らず。
結局、イヴァン3世の後押しを得たイヴァン・スホルークがフョードル・イヴァーノヴィチを追い、1493年、カジミエラスも全オドーエフスキー家領をモスクワ領として認めた。