フョードル・リヴォーヴィチ
Федор Львович Новосильский и Одоевский
ヴォロトィンスク公 князь Воротынский
生:?
没:?
父:オドーエフ公レフ・ロマーノヴィチ (ノヴォシーリ公ロマーン・セミョーノヴィチ)
母:?
結婚:
& マリーヤ (ノーヴゴロド=セーヴェルスキー公カリブタス)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | |
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マリーヤ・コリブトヴナと | ||||||
ミハイール | ||||||
ドミートリー | ||||||
セミョーン | ||||||
? | イヴァン・アンドレーエヴィチ | モジャイスク公 |
第17世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
オドーエフスキー家の家伝には、フョードル・リヴォーヴィチは存在しない。レフ・ロマーノヴィチには子がなかったとされているのである。代わりにユーリー・ロマーノヴィチの子フョードル・ユーリエヴィチがヴォロトィンスキー家の祖とされている。
おそらく家伝の誤りであろう。年代記その他の一次史料には、フョードル・リヴォーヴィチは存在するが、フョードル・ユーリエヴィチは存在しないからである。
リトアニア大公ヴィタウタスから、その従兄弟の娘マリーヤ・コリブトヴナを嫁にもらう。
1442年、リトアニア大公カジミエラスと協定を結ぶ。
その内容は、大雑把に言って当時の西欧で結ばれていた封建主従契約。フョードル・リヴォーヴィチはカジミエラスに忠実に仕え、その敵を敵とし、味方を味方として、«貢納金» を納める。カジミエラスはフョードル・リヴォーヴィチの領土を保全し、子孫への相続を保障し、またその領土には立ち入らない。また «ノヴォシーリ諸公» 間の紛争を調停し、種々の案件につき裁判をおこなう。もしカジミエラスやその子孫がこれらの条項を破る場合には、協定は破棄される。
なお、この協定ではフョードル・リヴォーヴィチは «ノヴォシーリとオドーエフの公» とされている。実際にはかれの分領はヴォロトィンスクであり、オドーエフは弟(おそらく現実には従兄弟)たちの分領であった。その後の同様の協定なども見てみると、おそらくこの頃はグルーホフ系一族間の最年長者が、実際の分領とは無関係に、«ノヴォシーリとオドーエフの公» と名乗る慣習があったものと推察される(ただしベリョーフ公の系統は無視されている)。実際、1448年と55年の史料ではフョードル・リヴォーヴィチは «ヴォロトィンスクの公» と記されている。