ヴァシーリイ・ヤーコヴレヴィチ・ザハーリイン
Василий Яковлевич Захарьин-Яковлев
生:?
没:1526/28
父:ヤーコフ・ザハーリエヴィチ・コーシュキン -1511 (ザハーリイ・イヴァーノヴィチ・コーシュキン)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
母親不詳 | |||||||
1 | ミハイール | ||||||
2 | セミョーン | -1569 |
ヴァシーリイ3世に仕えた。父はボヤーリンだったが、ヴァシーリイ・ヤーコヴレヴィチはオコーリニチイどまりであった。1514年、従兄弟のミハイール・ユーリエヴィチと同年にオコーリニチイになっている。
オコーリニチイとは宮中の官位。元来は «側用人» といった程度の意味で、モスクワ大公の私的な側近のこと。宮中の官位はこの頃整理されてきて、ボヤーリンの次にオコーリニチイが位置づけられた。この下にディヤーク、ストーリニク、ストリャープチイなどがある。ちなみに1521年の時点で、オコーリニチイは6人のみ。モローゾフ、トゥチコーフ、サブーロフ、ハバール、そしてヴァシーリイとピョートルのザハーリイン兄弟である(ミハイールは1520年にボヤーリンに昇格)。
年代記から知られる活動は、オコーリニチイになって後のもの。軍司令官として何度かタタールとの戦闘に従事している。とはいえこれといって際立った活躍をしているわけではない。
1526年、ヴァシーリイ3世とエレーナ・グリンスカヤの結婚式に参列したのが、年代記から知られる最後。