セルゲイ・マクシミリアーノヴィチ・ロマーノフスキー
Serge de Beauharnais, Сергей Максимилианович Романовский
ロマーノフスキー公 светлейший князь Романовский
生:1849.12.08/12.20−サンクト・ペテルブルグ
没:1877.10.12/10.24(享年27)−(ブルガリア)
父:第3代ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボーアルネ 1817-52
母:マリーヤ・ニコラーエヴナ大公女 1819-76 (皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチ)
結婚:なし
子:なし
バイエルン(ドイツ)貴族マクシミリアン・ド・ボーアルネの第六子(三男)。正教徒。
ロマーノフ家の一員。皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチの甥。
フランス語ではセルジュ・ド・ボーアルネだが、ロシア語ではセルゲイ・マクシミリアーノヴィチ・ロマーノフスキー公 князь Сергей Максимилианович Романовский、あるいは父の称号にちなんでセルゲイ・マクシミリアーノヴィチ・レイフテンベルグスキー公 герцог Сергей Максимилианович Лейхтенбергский と呼ばれる。たぶん後者の方が一般的。ちなみにドイツ語のロイヒテンベルクはロシア語ではレイフテンベルグとなる。
露土戦争(1877-78)に従軍し、タルノヴォ占領に際して陸軍少将。斥候に出て戦死。
ペトロパーヴロフスキー大聖堂に埋葬された。のち、隣接して建設された «大公霊廟» に移される。