セミョーン・ガヴリーロヴィチ・ゾーリチ
Семен(Симон) Гаврилович Зорич
生:1743
没:1799(享年56?)
父:?
母:?
愛人:女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナ 1729-96
結婚:?
子:?
セルビア人。正教徒。
女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナの7人目の愛人。
父はロシア軍人で、将軍にまでなっている。セミョーン・ゾーリチ自身も軍人となり、七年戦争(1756-62)や露土戦争(1768-74)に従軍。1770年、オスマン軍の捕虜に。終戦に伴い、1775年に釈放され帰国。グリゴーリー・ポテョームキン公の副官に抜擢される。
1776年か77年、グリゴーリー・ポテョームキン公の推挙でピョートル・ザヴァドフスキー伯の後釜としてエカテリーナ2世の愛人となる。しかしすぐにお払い箱となる。
とはいえ、エカテリーナ2世の愛人の例に漏れず、お役御免に際しては東ベラルーシに膨大な所領をもらい、ゾーリチの建てた農奴劇場にはエカテリーナ2世も足を運んでいる。
エカテリーナ2世の死後、皇帝パーヴェル・ペトローヴィチにより軍務に復帰。しかしすぐに退役している。
エカテリーナ2世の愛人をお払い箱になったのも、パーヴェル時代に軍を退役させられたのも、いずれも金銭問題が原因らしい。ギャンブル狂だったようだ。