ロスティスラーフ・ロスティスラーヴォヴィチ・ロマーノフ
Ростислав Ростиславович Романов, Rostislav Romanov
公 князь
生:1938.12.03−シカゴ(アメリカ)
没:1999.01.07(享年60)−ロンドン(イギリス)
父:ロスティスラーフ・アレクサンドロヴィチ公 1902-78 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
母:アレクサンドラ・パーヴロヴナ公女 1905-70 (パーヴェル・パーヴロヴィチ・ゴリーツィン公)
結婚①:1960−ウィネトカ(イリノイ州)(1978離婚)
& ステファナ・ヴァーデル 1938- (エドガー・ジョゼフ・クック)
結婚②:1980−レイク・フォレスト(イリノイ州)
& クリスティア 1949- (ハロルド・ノレゴール・イプセン)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ステファナ・クックと | |||||||
1 | ステファナ・アレクサンドラ | 1963- | 1988 | ウィリアム・ポーター・ボッジェス3世 | 1960- | アメリカ人 | |
クリスティア・イプセンと | |||||||
2 | アレクサンドラ | 1983- | − | ||||
3 | ロスティスラーフ | 1985- | − | ||||
4 | ニキータ | 1987- | − |
ミハイロヴィチ。ロスティスラーフ・アレクサンドロヴィチ公の第一子(長男)。
両親の結婚は貴賎結婚にあたるため、本来ロスティスラーフ・ロスティスラーヴォヴィチは皇族としての権利を持たない。もっともそれを言ったら、ロマーノフの姓を名乗ることも公を称することもできないはず。
1944年に両親が離婚。父の下で育ち、イェール大学を卒業。イリノイの銀行家。後年イギリスに渡る。
1998年、ニコライ2世の再埋葬のため、家族とともにサンクト・ペテルブルグを訪問。