ロマーノフ家人名録

プラトーン・アレクサンドロヴィチ・ズーボフ

Платон Александрович Зубов

伯 Reichsgraf (1793-)
公 Reichsherzog (1796-)

生:1767.11.15/11.26
没:1822.04.07/04.19(享年54)−クールラント

父:アレクサンドル・ニコラーエヴィチ・ズーボフ 1727-95
母:エリザヴェータ・ヴァシーリエヴナ・ヴォーロノヴァ

愛人:女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナ 1729-96

結婚:
  & テクラ (イグナーティー・ヴァレンティーノヴィチ)

子:

生没年結婚結婚相手生没年その親・肩書き身分
テクラと
アレクサンドラ

ロシアの下級貴族。正教徒。
 女帝エカテリーナ2世・アレクセーエヴナの12人目にして最後の愛人。

一族に残る伝承によれば、ズーボフ家は13世紀に正教に改宗したタタール人を祖とする。古いことは古いが、それだけで、その後下級の宮廷貴族として生き延びてきた。

 大した教育は受けなかったが、フランス語と音楽に秀でていた。
 1789年、セミョーノフスキー連隊勤務を始めた直後に、反ポテョームキン派により、女帝エカテリーナ2世の愛人とされる。とはいえグリゴーリー・ポテョームキン公が死ぬまではこれといった活動はしていない。
 1791年のグリゴーリー・ポテョームキン公の死で、宮廷最大の実力者となる。

 古来ロシアでは支配者の配偶者が政治に口出しをすることは稀だった。
 歴代ツァーリ・皇帝の妃も愛人も、女帝として、あるいは摂政として権力を握った女性の夫も愛人も、いずれも政治権力の行使には無頓着だったように思われる。テーレムの奥に閉じ込められていた歴代ツァリーツァは当然としても、アントン・ウルリヒアレクセイ・ラズモーフスキーも、悪名高いエルンスト・ビロンすらも、いずれも高い名誉を与えられただけで満足していた。グリゴーリー・オルローフ公でさえ、宮廷で傍若無人に振る舞ってはいても、実務的な権限は与えられていない。
 例外がヴァシーリー・ゴリーツィン公(実際にソフィヤ・アレクセーエヴナの愛人であったとして)とグリゴーリー・ポテョームキン公、そしてこのプラトーン・ズーボフだろう。
 ちなみにこれ以降も、政治の実権を握った皇帝の配偶者・愛人と言えば、最後の皇妃アレクサンドラ・フョードロヴナぐらいだろうか。
 中でもプラトーン・ズーボフは、アレクサンドラ・フョードロヴナと並んで政治的に多大な(悪い)影響を与えたことで知られる。宮廷でも傍若無人に振る舞い、アレクサンドル・パーヴロヴィチ大公の妃エリザヴェータ・アレクセーエヴナ大公妃にちょっかいを出したりしていた(エカテリーナ2世はこれを黙認したと言われる)。
 もちろん、多くの肩書きや名誉を自身に与えた。
 グリゴーリー・ポテョームキン公の後任としてエカテリノスラーフ県・タヴリーダ県総督、黒海艦隊総司令官をしばらく務めたが、現地に赴くことはなかった。

 プラトーン・ズーボフの «愚かさ加減» を物語るものとしてよく引き合いに出されるのが、エカテリーナ2世自身の率いる黒海艦隊の上陸作戦によるコンスタンティノープル攻略計画だろう。もっとも、これがどの程度本気のものだったのかわからないし、そもそもコンスタンティノープル攻略はエカテリーナ2世自身の長年の夢でもあった。とはいえ、70近い老婆を軍の先頭に押し立てるというのは、やはりどう考えても非現実的であろう。

 1795年、ペルシャ遠征に派遣される。
 1796年、エカテリーナ2世の死で失脚。あらゆる位階と所領を失い、事実上国外に追放された。エカテリーナの死が近いにもかかわらず後継者たるパーヴェル・ペトローヴィチ大公の歓心を買おうとしなかったどころか反感を煽る一方だったのだから、先が見えないと言うか何も考えていないと言うか、自業自得である。もっともデュ・バリー夫人もそうだったし、成りあがり者の寵臣というのはそんなものかもしれない。

 1800年、帰国を許される。この頃パーヴェル・ペトローヴィチはいやに気前が良くなっていたが、プラトーン・ズーボフ公としてはかつてひどい目に遭わされた恨みは忘れていなかったというところだろうか。反パーヴェル派に接近し、その暗殺(1801)の首謀者のひとりとなる。
 とはいえ新帝アレクサンドル1世の下で活躍することもなく、クールラントに隠棲した。アレクサンドル1世としても、父殺しの下手人を重用する気にはなれなかったのだろう。

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