オリガ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ
Ольга Александровна Юрьевская
ユーリエフスカヤ公女 светлейшая княжна Юрьевская (1880-)
生:1873.10.27/11.07/11.19(?)−サンクト・ペテルブルグ
没:1925.08.10(享年51)−ヴィスバーデン(ナッサウ、ドイツ)
父:皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチ 1818-81
母:エカテリーナ・ミハイロヴナ・ユーリエフスカヤ公妃 1847-1922 (ミハイール・ミハイロヴィチ・ドルゴルーキイ公)
結婚:1895−ニース
& メーレンベルク伯ゲオルク・ニコラウス 1871-1948 (ニコラウス・フォン・ナッサウ & ナターリヤ・プーシュキナ)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ゲオルク・ニコラウスと | |||||||
1 | アレクサンダー・アードルフ | 1896-97 | − | ||||
2 | ゲオルク・ミヒャエル・アレクサンダー | 1897-1965 | 1926 | ポーレット・フォン・キューヴァー | |||
1940 | エリーザベト・ミラー | 1903-63 | |||||
3 | オルガ・カタリーナ・アダ | 1898-1983 | 1923 | ミハイール・タリエロヴィチ・ロリス=メリコフ伯 | 1900-80 | ロシア貴族 |
皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチとエカテリーナ・ドルゴルーカヤ公女との第二子(長女)。
皇帝アレクサンドル3世・アレクサンドロヴィチの異母妹。ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの年少の叔母ということになる。
両親の結婚は1880年のことで、オリガ・アレクサンドロヴナは私生児として生まれた。当然、姓も称号もなかったが、1880年の両親の結婚に際し、エカテリーナ・アレクサンドロヴナは嫡出子とされ、同時にユーリエフスカヤの姓と公女の称号を与えられた。
1881年、父が暗殺される。もともと四面楚歌状態だった母は、オリガ・アレクサンドロヴナ公女等を連れて外国へ。ニースに落ち着いた。
夫はナッサウ公家の出だが、母が «相応しくない家柄» の出だったため、ナッサウ公位の継承権を持たず、メーレンベルク伯を名乗っていた。ちなみにその姉は、ミハイール・ミハイロヴィチ大公と結婚したゾフィーア。
ふたりはヴィスバーデンに居住。
ゲオルク・ニコラウスはロシア語を話さなかったが、第一次世界大戦では(騎兵として従軍)西部戦線での従軍を希望し容れられたという。