ニコラオス
Νικόλαος, Николай
ギリシャ&デンマーク王子 Πρίγκιττας της Ελλάδας και της Δανίας
生:1872.01.10/01.22−アテネ(ギリシャ)
没:1938.02.08(享年66)−アテネ(ギリシャ)
父:ゲオルギオス1世 1845-1913 ギリシャ王(1863-1913)
母:オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女 1851-1926 (コンスタンティーン・ニコラーエヴィチ大公
結婚:1902−ツァールスコエ・セロー
& エレーナ・ヴラディーミロヴナ大公女 1882-1957 (ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
エレーナ・ヴラディーミロヴナと | |||||||
1 | オルガ | 1903-97 | 1923 | パヴレ | 1893-1976 | ユーゴスラヴィア摂政公 | 君主 |
2 | エリサーベト | 1904-55 | 1934 | カール | 1900-67 | テーリンク=イェッテンバハ伯 | ドイツ貴族 |
3 | マリーナ | 1906-68 | 1934 | ケント公ジョージ | 1902-42 | イギリス王ジョージ5世 | 君主 |
ゲオルギオス1世の第四子(三男)。正教徒。
皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチの曾孫。
絵画に才能を発揮し、自ら多くの絵を描いている。ちなみにサインは Nicolas Leprince(フランス語。王子 le prince を姓らしくしたもの)。
長兄コンスタンティノス王子が親独派であったのに対して、ニコラオス王子は父の親英仏、母の親露的気分を受け継いだ。これもあって、1913年に父が暗殺されると、暗殺犯はドイツの秘密警察の人間であると主張して長兄、特にその妃(ドイツ皇女)との関係を悪くした。
1917年、長兄の退位に伴いニコラオス王子もスイスに亡命。その後フランスで絵画を教えながら生活費を稼いだ。この間、1920年には長兄が復位し、1922年に再度退位。1923年には甥ゲオルギオス2世も亡命し、1924年に共和制が樹立されている。
1935年の王政復古をきっかけに、ニコラオス一家は1936年にギリシャに帰国。タトイに埋葬された。