ナターリヤ・アレクサンドロヴナ・アンドローソヴァ
Наталья Александровна Андросова
生:1917.01.20/02.02−ペトログラード
没:1999.07.25(享年82)−モスクワ
父:アレクサンドル・ニコラーエヴィチ・イスカンデル 1889-1957 (ニコライ・コンスタンティーノヴィチ大公)
母:オリガ・イオシフォヴナ・ロゴフスカヤ 1893-1962
結婚:
& ニコライ・ドスタリ
子:なし
コンスタンティーノヴィチ。アレクサンドル・イスカンデルの第二子(長女)。
ロマーノフ一族とは認められない子ではあったが、とにもかくにもニコライ・コンスタンティーノヴィチ大公の孫ということで、教母には大叔母のギリシャ王妃オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女がなった。また洗礼式には、当時タシケントに流刑されていた祖父ニコライ・コンスタンティーノヴィチ大公も駆けつけた。
いったんはタシケントに行ったが、すぐにモスクワへ。
父が反革命軍に身を投じ、やがて国外に逃亡すると、母はニコライ・アンドローソフと再婚。ナターリヤ・アレクサンドロヴナも素性を隠すために義父にちなんでナターリヤ・ニコラーエヴナ・アンドローソヴァと名乗った。
ナターリヤ・アレクサンドロヴナ自身、自分の素性については17歳まで知らなかったという。もっとも、ロマーノフに連なることを母が誇りとし、部屋中に写真が飾ってあり、ナターリヤ・アレクサンドロヴナ自身も友人たちに自分の出自を吹聴してまわっていた、とも本人は言っている。
労働者でも農民でもなかったから «労働者と農民の国家» ソ連ではかれらは «部外者» であり、市民権を与えられなかった。ナターリヤ・アレクサンドロヴナは靴屋や帽子屋で働きながらスポーツに熱中した。1939年からはゴーリキー公園でオートバイの曲芸で生計を立てる。大祖国戦争が勃発すると、前線にも従軍。
夫ニコライ・ドスタリは映画監督だったが、若くして事故死。
ロマーノフ家の大公の孫であることを誇りとし、しかもそれを隠そうともしなかったことから、トラブルにも巻き込まれた。特に一時期は秘密警察に脅され、1939年頃からはその協力者になったらしい(スターリンの死の前後に «解放» された)。
戦後もバイク・レーサーとして活躍し、ソ連中をツアーしてまわった。1960年代後半、引退して年金生活に入る。以後は孤独な人生を送った。
1998年、ニコライ2世一家がペトロパーヴロフスキー大聖堂に改葬された時には、ナターリヤ・アレクサンドロヴナも招待された。