ナデージュダ・ミハイロヴナ
Надежда Михайловна, Nadejda de Torby
トルビ伯女 comtesse de Torby
ミルフォード・ヘイヴン侯妃 marchionesse of Milford Haven (1921-)
生:1896.03.16/03.28−カンヌ(フランス)
没:1963.01.22(享年66)−カンヌ(フランス)
父:ミハイール・ミハイロヴィチ大公 1861-1929 (ミハイール・ニコラーエヴィチ大公)
母:トルビ伯妃ゾフィーア・フォン・メーレンベルク 1868-1927 (ニコラウス・フォン・ナッサウ)
結婚:1916−ロンドン
& 第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ジョージ・マウントバッテン 1892-1938
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ジョージ・マウントバッテンと | |||||||
1 | タティアナ・エリザベス | 1917-88 | − | ||||
2 | デイヴィド | 1919-70 | 1950 | ロメイン | 1923-75 | ヴィントン・ウルリク・ダールグレン・ピアス | アメリカ人 |
1960 | ジャネット・マーセデス | 1937- | フランシス・ブライス | イギリス人 |
ミハイロヴィチ。ミハイール・ミハイロヴィチ大公の第二子(次女)。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従姉妹。
皇帝から認められない貴賎結婚の子であったため、父の称号を継ぐことができず、母の称号を継いだ。
父がロシアから国外追放されていたので、カンヌで生まれ育つ。
1910年、ロンドンに移り住む。以後、イギリス国民となる。イギリスでは «ナデージュダ・ド・トルビ» と呼ばれた。愛称は «ナダ Nada»。ちなみに、ロシア語も話したが、ロンドン移住以後は基本的に英語を話した。
父の薫陶あってか、テニスやゴルフの腕前はかなりなものだったらしい。
夫のマウントバッテン家はヘッセン&ライン大公家の分家。
皇帝アレクサンドル2世の妃マリーヤ・アレクサンドロヴナの甥であるバッテンベルク侯ルートヴィヒ・アレクサンダーがイギリスに帰化し、マウントバッテンを名乗り(バッテンベルクを英語に直したもの)、ミルフォード・ヘイヴン侯位を与えられた。
ルートヴィヒ・アレクサンダーの長男が、ナデージュダ・ミハイロヴナの夫ジョージ。次男が最後のインド副王ルイス・マウントバッテン。長女アリスの息子がエディンバラ公フィリップ(エリザベス2世の夫君)。
なお、ルートヴィヒ・アレクサンダーの弟アレクサンダーは一時ブルガリア王だった(のち廃位されている)。
結婚後はケンウッド、メイドンヘッドに住む。甥のフィリップ・マウントバッテンを幼い頃から可愛がり、その面倒を看た。