ミハイール・ユーリエヴィチ・ザハーリイン
Михаил Юрьевич Захарьин
ボヤーリン боярин (1520-)
生:?
没:1539
父:ユーリー・ザハーリエヴィチ・コーシュキン -1504 (ザハーリー・イヴァーノヴィチ・コーシュキン)
母:イリーナ・イヴァーノヴナ・トゥチコーヴァ
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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母親不詳 | |||||||
1 | イヴァン | -1546 | |||||
2 | ヴァシーリー | -1567 |
早くも父の生前の1495年には記録に登場。その後、軍の司令官として、ヴァシーリー3世の取り巻きとして、時々名が言及される。1513年のスモレンスク遠征にも従軍。その後は、クリム・ハーンの襲撃に備えてトゥーラで軍を率いる。1515年にはドロゴブージュからムスティスラーヴリに進軍している。1519年、カザンに遠征し、カザン・ハーンにシャー=アリを据える。1524年にもカザンへの遠征に従軍している。このほか、神聖ローマ皇帝やオスマン帝国のスルターンの使節との外交交渉などにも従事している(ただし実務をこなしたわけではなさそう)。
いずれにせよ、特に目立った活躍をしたわけではないが、ヴァシーリー3世の晩年にはその側近のひとりとなっていた。