ミハイール・フョードロヴィチ・ロマーノフ
Михаил Федорович Романов, Michel Romanoff
公 князь
生:1924.05.04−パリ(フランス)
没:2008.09.22(享年84)−パリ(フランス)
父:フョードル・アレクサンドロヴィチ公 1898-1968 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
母:イリーナ・パーヴロヴナ・パーレイ公女 1903-90 (パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公)
結婚①:1958−パリ(1992離婚)
& ヘルガ 1926- (ルートヴィヒ・シュタウフェンベルガー)
結婚②:1994−マルタ
& マリーア・デ・ラス・メルセデス・ウストレル=カバーニ 1960-
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ヘルガ・シュタウフェンベルガーと | |||||||
1 | ミシェル・ポール | 1959- | 1994 | マリーア・デ・ラス・メルセデス | 1960- | ラモン・ウストレル | スペイン人 |
ミハイロヴィチ。フョードル・アレクサンドロヴィチ公の第一子(長男)。
両親の結婚は貴賎結婚にあたるため、本来ミハイール・フョードロヴィチは皇族としての権利を持たない。もっともそれを言ったら、ロマーノフの姓を名乗ることも公を称することもできないはず。
パリとビアリッツで育った。ロシア語も学んでいる。
両親の離婚後、母と一緒にヌイイに住む。第二次世界大戦の勃発で、再びビアリッツに。終戦間近にフランス陸軍に歩兵として入隊した。
しばらくリュシアン・ルロン(叔母ナターリヤ・パーレイ公女の前夫)の下で働いた後、1949年に映画産業へ。映画監督になったらしいが、どんな映画を撮ったのだろう?
1990年、まだソ連の健在(と言ってもかなりガタついていたが)な時代にレニングラードを訪問している。