ロマーノフ家人名録

フョードル・アンドレーエヴィチ «コーシュカ»

Федор Андреевич "Кошка"

生:?
没:1407?

父:アンドレイ・イヴァーノヴィチ・コブィラ
母:?

結婚:?

子:

生没年結婚結婚相手生没年その親・肩書き身分
母親不詳
1イヴァン-1427
2アレクサンドル・ベズズーベツ
3フョードル・ゴルテャーイ
4ミハイール・ドゥルノーイ
5アンナ1391フョードル・ミハイロヴィチ-1407ミクーリン公リューリコヴィチ

アンドレイ・コブィラの五男(?)。

 1380年、クリコーヴォの戦いに際してフョードル・コーシュカはモスクワ大公ドミートリー・ドンスコーイからモスクワの留守を任されたと言われる。
 1390・91年、モスクワ大公の長年の宿敵であったトヴェーリ大公の息子に、娘を嫁がせた。モスクワ大公は1389年にドミートリー・ドンスコーイからヴァシーリー1世に代替わりしており、モスクワ側から出た話なのかトヴェーリ側からかは不明だが、いずれにせよこれが代替わりに際してモスクワとトヴェーリの友好関係を確認しようという政略結婚であったことは疑いない。
 1393年、ノーヴゴロドと交渉して講和を取りまとめた。
 1408年、モスクワに侵攻したエディゲイは、去り際に書簡を残している。そこではフョードル・コーシュカを名指しで、タタールに対して融和的な政策を進言したとして高く評価している。
 フョードル・コーシュカはドミートリー・ドンスコーイ(1359-89)とヴァシーリー1世(1389-1425)に重用されたボヤーリンであったとされるが、上記からもそのことが伺われる。

 なお、エディゲイの書簡の直前に死んだものと想像される(エディゲイの書簡中では故人扱いされている)。父はイヴァン・カリターセミョーン傲慢公のボヤーリンだったとされるが、1347年の年代記に一度言及されるだけである。このことからすると、フョードル・コーシュカは父の晩年の子であったのではないかと考えられよう。家系図がかれを五男としているのも、案外事実かもしれない。

 かれの子らはかれにちなんで «コーシュキン» と呼ばれ、シュイスキー公家やムスティスラーフスキー公家などの分領公出身の一族と肩を並べる存在として、モスクワ宮廷の上位を占めた。
 ちなみに当時、分領公出身のリューリコヴィチやゲディミノヴィチ以外で、モスクワ宮廷で活躍していた貴族と言うと、ガヴリーラ・アレークシチの子孫、プロターシー・フョードロヴィチの子孫、フョードル・ビャーコントの子孫が著名。

ガヴリーラ・アレークシチはネヴァ河の戦い(1240)の英雄。その子アキンフ・ヴェリーキーはアンドレイ・アレクサンドロヴィチに、孫イヴァン・アキンフォヴィチはイヴァン・カリターセミョーン傲慢公に仕えている。その孫の代にアキンフォフ家は、ブトゥルリーン家、チュルコーフ家、カーメンスキー家など多くの系統に分裂していった。ちなみにアキンフ・ヴェリーキーの甥からプーシュキン家が始まったとされる。アンドレイ・コブィラもガヴリーラ・アレークシチの孫とされることもあるが、おそらくでっち上げ。
 プロターシー・フョードロヴィチは、イヴァン・カリターのトィーシャツキー(«千人隊長» という意味の軍事司令官)として有名。その曾孫ヴァシーリー・ヴェリヤミーノフは、最後のトィーシャツキー。1374年のかれの死で、トィーシャツキーの制度は廃止された。その子ミクーラ・ヴェリヤミーノフはドミートリー・ドンスコーイに重用され(義弟だった)、クリコーヴォの戦いで戦死。ヴェリヤミーノフ家からは、アクサーコフ家、ヴォロンツォーフ家などが分かれている。
 フョードル・ビャーコントはもともとチェルニーゴフのボヤーリンだったらしいが、1340年からイヴァン・カリターに仕えるようになった。その長男が府主教アレクシー(-1378)。次男アレクサンドル・プレシチェーイはプレシチェーエフ家の祖となった。このプレシチェーエフ家からは、バスマーノフ家、イグナーティエフ家などが分かれている。
 なおこのほかに、家系図によれば、モローゾフ家、サルトィコーフ家、シェイン家、トゥチコーフ家などの祖となったミハイール・プルシャーニンなる、ネヴァ河の戦いにも従軍したともしなかったとも言われる人物の子孫もこの頃いたことになっているが、年代記でははっきりしない。
 さらに家系図によれば、チェトなる人物の子孫もこの頃いたはずで、ちょうどフョードル・コーシュカと同世代か次世代の辺りでゼルノーフ家、サブーロフ家、そしてゴドゥノーフ家に分かれたことになっている。

 添え名の «コーシュカ» は「猫(特にめす猫)」という意味。

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最終更新日 30 11 2012

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