エヴドキーヤ・アレクセーエヴナ
Евдокия Алексеевна
ツァレーヴナ царевна
生:1650.02.17/02.27−モスクワ
没:1712.05.10/05.21(享年62)−モスクワ
父:ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチ 1629-76
母:ツァリーツァ・マリーヤ・イリイーニチナ 1625-69 (イリヤー・ダニーロヴィチ・ミロスラーフスキー)
結婚:なし
子:なし
ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの第二子(長女)。兄ドミートリー・アレクセーエヴィチが早世しているので、事実上の第一子。
ツァーリ・フョードル3世・アレクセーエヴィチ、イヴァン5世・アレクセーエヴィチの同母姉で、皇帝ピョートル1世・アレクセーエヴィチの異母姉。
当時のロマーノフ家の女性たちは生涯をテレムノーイ宮殿の奥深くで過ごすのが一般的だった。エヴドキーヤ・アレクセーエヴナも同様で、アレクセイ・ミハイロヴィチの子女の最年長ではあったが、一切表舞台には現れていない。
1676年、父が死に弟フョードル3世が即位。1682年にフョードル3世が死ぬと、ごたごたの末に妹ソフィヤ・アレクセーエヴナが «摂政» として実権を掌握した。そのソフィヤ・アレクセーエヴナも1689年には権力の座から追われ、異母弟ピョートル1世が権力を握る。
この間もエヴドキーヤ・アレクセーエヴナは決して政治に口出しをするわけではなかったが、それでもピョートル1世から、ソフィヤ・アレクセーエヴナとのかかわりを疑われている。
宮廷がサンクト・ペテルブルグに移った後もモスクワにとどまり、ノヴォデーヴィチー修道院で修道女となった(ならなかったとも言われる。修道名は知らない)。
ノヴォデーヴィチー修道院に埋葬されている。