エカテリーナ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ
Екатерина Александровна Юрьевская
ユーリエフスカヤ公女 светлейшая княжна Юрьевская (1880-)
公妃 княгиня (1901-22)
生:1878.02.09/02.21−サンクト・ペテルブルグ
没:1959.12.24(享年81)−ヘイリング島(ハンプシャー、イギリス)
父:皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチ 1818-81
母:エカテリーナ・ミハイロヴナ・ユーリエフスカヤ公妃 1847-1922 (ミハイール・ミハイロヴィチ・ドルゴルーキイ公)
結婚①:1901
& アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチ公 1870-1910 (ヴラディーミル・アナトーリエヴィチ・バリャーティンスキイ公)
結婚②:1916(1922離婚)
& セルゲイ・プラトーノヴィチ公 1890-1978 (プラトーン・セルゲーエヴィチ・オボレーンスキイ=ネレディンスキイ=メレツキイ公)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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バリャーティンスキイ公と | |||||||
1 | アンドレイ | 1902-31 | − | ||||
2 | アレクサンドル | 1904- |
皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチとエカテリーナ・ドルゴルーカヤ公女の第四子(次女)。
皇帝アレクサンドル3世・アレクサンドロヴィチの異母妹。ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの10歳年少の叔母ということになる。
両親の結婚は1880年のことで、エカテリーナ・アレクサンドロヴナは私生児として生まれた。当然、姓も称号もなかったが、1880年の両親の結婚に際し、エカテリーナ・アレクサンドロヴナは嫡出子とされ、同時にユーリエフスカヤの姓と公女の称号を与えられた。
1881年、父が暗殺される。もともと四面楚歌状態だった母は、エカテリーナ・アレクサンドロヴナ公女等を連れて外国へ。ニースに落ち着いた。
最初の夫バリャーティンスキイ公は結婚前からイタリア人歌手リーナ・カヴァリエーリを愛人としていたが、結婚後もこの関係は続いた。しかしエカテリーナ・アレクサンドロヴナ公女は、自らも声楽に関心を寄せていたこともあったのか、自身リーナと仲良くなっている。
十月革命後、亡命。
亡命後は歌手としてデビュー。そこそこ評判を取ったようだが、「ツァーリの娘が歌う」という興味以上の評価を得られたのかどうか不明。
ちなみに、彼女の伴奏を同じく亡命ロシア人のドミートリイ・テョームキンが務めたことがある。
のちにカトリックに改宗。
晩年は貧困の中に孤独な生活を送った(元夫セルゲイ・オボレーンスキイ公などの支援があったらしい)。