エカテリーナ・ガヴリーロヴナ・チスローヴァ
Екатерина Гавриловна Числова
生:1846.09.09/09.21−サンクト・ペテルブルグ
没:1889.12.01/12.13(享年43)−クリミア
父:ガヴリール・チスローフ
母:?
愛人:ニコライ・ニコラーエヴィチ大公 1831-91 (皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチ)
子:
名 | 生没年 | 結婚 | 結婚相手 | 生没年 | その親・肩書き | 身分 | |
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ニコライ・ニコラーエヴィチ «スタールシー» 大公と | |||||||
1 | オリガ | 1868-1950 | 1892 | ミハイール | 1858-1927 | ミハイール・カンタクジン公 | ロシア貴族 |
2 | ヴラディーミル | 1873-1942 | ヴェーラ・ポポーヴァ | ||||
エレオノーレ・レンチョーネ | |||||||
オリガ・ザボートキナ | |||||||
マリーナ・ザボートキナ | |||||||
3 | エカテリーナ | 1874-1940 | ニコライ・コレヴォ | ||||
1914 | イヴァン | アレクサンドル・ペルシアーニ | |||||
4 | ニコライ | 1875-1902 | オリガ・ザボートキナ | ||||
5 | ガリーナ | 1877-78 | − |
ロシア・バレエが世界的になる前のプリマのひとり。彼女のパートナーは、マティルダ・クシェシニスカの父親フェリクス。
1860年代半ば、ニコライ・ニコラーエヴィチ «スタールシー» 大公の愛人となる。
ニコライ・ニコラーエヴィチ大公はふたりの関係を隠そうともせず、自分の住むニコラーエフスキー宮殿の真向かいに彼女を住まわせた。
子供たちは1882年、アレクサンドル3世によりニコラーエフの姓を認められた。
さらに1894年、ヴラディーミル・ニコラーエヴィチとニコライ・ニコラーエヴィチは貴族とされた。軍人となったふたりは、ヴラディーミルがニコライ2世の、ニコライがミハイール・ニコラーエヴィチ大公のそれぞれ副官となっている。