ロマーノフ家人名録

ボリース・ヴラディーミロヴィチ

Борис Владимирович

大公 великий князь

生:1877.11.12/11.24−サンクト・ペテルブルグ
没:1943.11.09(享年64)−パリ(フランス)

父:ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公 1847-1909 (皇帝アレクサンドル2世・ニコラーエヴィチ
母:マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃 1854-1920 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世)

愛人:ジャンヌ・オーモン=ラクロワ

結婚:1919−ジェノヴァ
  & ジナイーダ・セルゲーエヴナ 1898-1963 (セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・ラシェフスキー)

子:

生没年結婚結婚相手生没年その親・肩書き身分
ジャンヌ・オーモン=ラクロワと(姓はラクロワ)
1ボリース1902-84

ヴラディーミロヴィチ。ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公の第三子(三男)。
 皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの従兄弟。

 1895年に自分の宮殿をツァールスコエ・セローに建て、自立。母親の溺愛をいいことにしたい放題だったらしい(多額の借金を母親に肩代わりさせている)。
 悪名高いプレイボーイであった。ルーマニア王妃マリア(従姉妹)との関係も噂され、デミードフ公女との噂は彼女の結婚破棄(結婚式前夜に)をもたらした。アンナ・パーヴロヴァとの仲も噂されている。

 1896年にニコラーエフスコエ騎兵学校を卒業。軍務は放擲していたが、日露戦争には従軍。その勇敢さが褒賞された。1911年に大佐、1914年に少将。
 第一次世界大戦では近衛コサック連隊長。1915年には皇帝付き野戦アタマン。どちらも名目的なものであり、ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公自身はペトログラードでそれまで通りの生活を送った。

 1916年、母が皇帝ニコライ2世の長女オリガ・ニコラーエヴナ大公女と結婚させようとするが、皇妃アレクサンドラ・フョードロヴナが拒否。

 イギリス嫌いで知られる。

 ニコライ2世が退位した際には皇弟ミハイール・アレクサンドロヴィチ大公とともにガッチナにおり、モギリョーフの総司令部(ここに皇帝がいた)までかけつけている。退位後にニコライ2世に会いに行ったのは、皇太后マリーヤ・フョードロヴナ以外ではボリース・ヴラディーミロヴィチ大公だけだった。

 臨時政府下ではツァールスコエ・セローで自宅軟禁状態に置かれたが、一時拘束されもした。

 1917年夏、当時愛人としていたジナイーダ・ラシェフスカヤとともにカフカーズに行くことを認められる。キスロヴォーツクで弟アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公と合流。その愛人マティルダ・クシェシニスカ、母マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃とともに暮らす(ただしふたりの愛人は、マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃に認められなかったので別居)。
 1918年夏、ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公とアンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公はボリシェヴィキーに逮捕され、ピャティゴルスクへ。
 以下、アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公の話。戦前、ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公はパリでとある画家の絵が気に入って買ってやったことがある。ピャティゴルスクのホテルにボリース・ヴラディーミロヴィチ大公とアンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公を銃殺するために派遣されたボリシェヴィキーの指揮官がこの画家くずれであった。かつて自分の絵を評価してくれた人物を殺すことができず、かれはボリース・ヴラディーミロヴィチ大公&アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公兄弟を釈放した。
 ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公らは翌日キスロヴォーツクを出て北カフカーズをさまようが、まもなく白衛軍が北カフカーズを掌握したため、ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公らはキスロヴォーツクに帰還。そこからクバン半島にある黒海沿岸のアナパへ。
 長男キリール・ヴラディーミロヴィチ大公を皇帝にしたい母マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃はあくまでもロシアにとどまり続けることを主張するが、ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公はジナイーダ・ラシェフスカヤとともに母を残して1919年春にイスタンブールへ。そこからイタリアへ。一時はスペイン王アルフォンソ13世の客としてマドリードに。最終的にパリに居を構える。

 政治には無関心であった。母の遺産で生活。ジナイーダ・ラシェフスカヤと結婚してからは落ち着いたのか、それまでのプレイボーイぶりは影を潜めたらしい。ちなみにパリで生活していた時には、私生児ボリース・ラクロワと交際があったらしい。

 パリの正教会に葬られたが、のちにコントルクセヴィルに眠る母の隣に改葬された。

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