ロマーノフ家人名録

アンナ・ペトローヴナ・ロプヒナー

Анна Петровна Лопухина, Гагарина

公女 княжна (1799-)
公妃 княгиня (1800-)

生:1777.11.08/11.19
没:1805.04.25/05.07(享年27)

父:ピョートル・ヴァシーリエヴィチ・ロプヒーン公 1753-1827
母:プラスコーヴィヤ・イヴァーノヴナ・レフシナ

愛人:皇帝パーヴェル・ペトローヴィチ 1754-1801

結婚:1800
  & パーヴェル・ガヴリイーロヴィチ公 1777-1850 (ガヴリイール・ペトローヴィチ・ガガーリン公)

子:?

ロシア貴族。正教徒。
 ピョートル1世の妃エヴドキーヤ・フョードロヴナの遠い親族。
 アンナ・ロプヒナーの父ピョートル・ロプヒーンも、モスクワ知事、ヤロスラーヴリ・ヴォーログダ総督などを歴任し、元老院議員となってはいたが、歴史に名を残すほどのことはしていない。

ロプヒーン家はエヴドキーヤ・フョードロヴナ以後、多少は知られる人物を輩出するようになった。1748年には女帝エリザヴェータ・ペトローヴナに対する陰謀の咎で一族は全滅。その後は再び逼塞する。ちなみにイヴァン・ヴラディーミロヴィチ(1756-1816)はロシアのフリーメーソン草創期の中心人物として著名。フリーメーソンに好意的だったパーヴェル・ペトローヴィチの即位で日の目を見る。

 アンナ・ロプヒナーは幼くして母を亡くし、モスクワで継母に育てられた。

 1797年、戴冠式に際して行われた祝賀会で、アンナ・ロプヒナーは新帝パーヴェル・ペトローヴィチの目に留まる(戴冠式はクレムリンで行われる)。
 パーヴェル・ペトローヴィチの治世は、皇妃マリーヤ・フョードロヴナと «愛人» エカテリーナ・ネリードヴァのふたりの女性が大きな影響力を持っていた。寵臣イヴァン・クタイソフ伯を筆頭に、特に宮廷人事が両者に独占されているとして、ふたりの女性に不満を抱いた勢力が、アンナ・ロプヒナーに目をつける。
 1798年、マリーヤ・フョードロヴナの強硬な反対を押し切って、パーヴェル・ペトローヴィチはアンナ・ロプヒナーとロプヒーン一家をモスクワからサンクト・ペテルブルグ宮廷に呼び寄せた。
 エカテリーナ・ネリードヴァは宮廷を去り、人事も一新された。

娘の余禄に与り、ピョートル・ロプヒーンは1798年に検事総長に就任。ただし翌1799年には隠居しモスクワへ。1799年、ピョートル・ロプヒーンに公の位が授けられる。ピョートル・ロプヒーンはアレクサンドル1世の治世には政界に復帰し、最終的には国家評議会議長を務めている(1816-27)。
 アンナ・ロプヒナーの弟パーヴェル・ペトローヴィチ公(1788-1873)の死で、ロプヒーン公家は断絶(公位を持たない系統は存続している)。

 パーヴェル・ガガーリン公との結婚はパーヴェル・ペトローヴィチにより関係を糊塗するために仕組まれたものだと言われることがあるが、エカテリーナ・ネリードヴァの時にはそんな顧慮を働かせなかったことを考えると、そうは思えない。むしろアンナ・ロプヒナーの側がパーヴェル・ガガーリン公との結婚を望んだのだとも言われるが、その方がありそうだ。愛人が別の男性と結婚するのを許すというのもおかしな話だが、中世騎士道精神(と思われるもの)に魅かれていたパーヴェル・ペトローヴィチなら不思議ではない。
 もっとも、パーヴェル・ガガーリン公と結婚した後も、アンナとパーヴェル・ペトローヴィチの関係は変わらず。

 なお、アンナは政治的に利用されたわけだが、自身は政治に無関心だったようだ。享楽的だったと言われるが、それでパーヴェル・ペトローヴィチの政策を動かしたり何らかの陰謀に加担するようなことはなかった。とはいえ人事には当然のごとく口出しをし、クーデタ前夜には夫パーヴェル・ガガーリン公を軍事大臣に任命する命令書をパーヴェル・ペトローヴィチに書かせたらしい(パーヴェル・ガガーリン公にはいかなる軍務経験もなかった)。
 善良な性格だったとも言われるが、«前任者» のエカテリーナ・ネリードヴァと違って皇妃マリーヤ・フョードロヴナとはうまくいかなかった(エカテリーナ・ネリードヴァに肩入れするマリーヤ・フョードロヴナの方に問題があったようだが)。

 1801年、パーヴェル・ペトローヴィチが暗殺されると、新帝アレクサンドル1世により夫パーヴェル・ガガーリン公はサルデーニャ王国駐在公使としてトリノに飛ばされた(1801-03)。アンナ・ガガーリナ公妃もこれに同行。

 死因は肺病。アレクサンドル・ネフスキー大修道院に埋葬される。

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