アレクサンドル・ニキーティチ・ロマーノフ
Александр Никитыч Романов, Alexander Romanov
公 князь
生:1929.11.04−パリ(フランス)
没:2002.09.22(享年72)−ロンドン(イギリス)
父:ニキータ・アレクサンドロヴィチ公 1900-74 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
母:マリーヤ・イラリオーノヴナ 1903-97 (イラリオーン・イラリオーノヴィチ・ヴォロンツォーフ=ダーシュコフ伯)
結婚:1971−ニューヨーク
& マリーア 1931- (ニシェミ公コッラード・ヴァルグァルネラ)
子:なし
ミハイロヴィチ。ニキータ・アレクサンドロヴィチ公の第二子(次男)。
両親の結婚は貴賎結婚にあたるため、本来アレクサンドル・ニキーティチは皇族としての権利を持たない。もっともそれを言ったら、ロマーノフの姓を名乗ることも公を称することもできないはず。
両親とともに主にロンドンに居住。
第二次世界大戦が勃発した時には父とともにパリにいて、フランスがドイツ軍に占領されるとロンドンに戻ることができなくなった。このため一旦はローマに移ったが、その後プラハへ。終戦時には、ソ連軍の侵攻に伴い、危うくソ連軍に捕らえられるところだった。戦後はイギリスに戻る。
1948年には両親とともにアメリカにわたり、コロンビア大学に学んだ。
1953年にイギリスに戻って以来、祖母クセーニヤ・アレクサンドロヴナ大公女と、その死(1960年)まで同居。
1961年、観光客としてビザを取得し、革命後ロマーノフとしては初めてロシアに足を踏み入れた。ソ連当局は気付かなかったのだろうか、それともどうでもいいと思って見逃したのか。