アレクサンドル・ゲオルギエヴィチ・ロマーノフスキー
Aléxandre de Beauharnais, Александр Георгиевич Романовский
ロマーノフスキー公 светлейший князь Романовский
第7代ロイヒテンベルク公 Herzog von Leuchtenberg/герцог Лейхтенбергский (1912-)
生:1881.11.01/11.13−サンクト・ペテルブルグ
没:1942.04.28(享年60)−サリ・ド・ベアルン(フランス)
父:第6代ロイヒテンベルク公ジョルジュ・ド・ボーアルネ 1852-1912
母:テレーゼ 1852-83 (ピョートル・ゲオルギエヴィチ・オリデンブルクスキー)
結婚①:1917
& ナデージュダ・ニコラーエヴナ・イグナーティエヴァ(旧姓カラリ) 1883-1964
結婚②:
& ダーリヤ・アレクセーエヴナ・オボレーンスカヤ公女 1903-82
子:なし
バイエルン(ドイツ)貴族・ロシア貴族ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ公の第一子(長男)。正教徒。
ロマーノフの一員として軍人教育を受け、ニコラーエフ騎兵学校を卒業。しかし同時に法律の勉強もして、帝国法律学校を1901年に卒業している。
第一次世界大戦では前線で従軍。第4ドン・コサック師団長として活躍した。
二月革命勃発の直後、秘密裏にナデージュダと結婚(貴賎結婚のため本来は許されなかった)。この時、同じく貴賤結婚を考えていたガヴリイール・コンスタンティーノヴィチ公に相談している。
ペトログラード市内の家を売却し、フィンランドに所領を購入。これにより、その後の難を避けることができた。
その後フランスに移住。
子がなかったため、かれの死後ロイヒテンベルク公位は異母弟セルゲイ・ゲオルギエヴィチ公が継いだ(セルゲイ・ゲオルギエヴィチ公は未婚のまま死去し、ロイヒテンベルク公家は断絶した)。