ヴェルフェン家はドイツでも最も古く最有力の家系のひとつ。しかし11世紀には断絶し、北イタリアのエステ家がこれを継ぐ。エステ家の本家はそのまま北イタリアに残りフェッラーラ侯、モデナ公となった。分家がドイツのヴェルフェン家の所領を継いでいる。なお、エステ本家は18世紀末に断絶し、ハプスブルク家がこれを継いでいる。
ヴェルフェン家は12世紀にはバイエルン、ザクセン、シュヴァーベンに広大な領土を有して(バイエルン公とザクセン公を兼ねた)ホーエンシュタウフェン家と激しく争う。イタリア語でいうゲルフとはヴェルフェンが訛ったもの(ギベリンはホーエンシュタウフェンのこと)。敗北後はブラウンシュヴァイク公として、幾多の分家に分裂した。
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公家は、弱小貴族ではあったが(18世紀以降はしばしばプロイセン軍人として糊口を凌いでいる)、なぜか各国王族との婚姻相手としてはメジャーな存在だった。
1871年、ドイツ帝国に統合され(帝国内の公国として存続)、1884年、断絶。
リューネブルク系から分かれたハノーファー選帝侯家は、1714年にイギリス王家となる。さらにヴィーン会議でハノーファーが王国に格上げされる。
1837年、イギリス王ウィリアム4世/ハノーファー王ヴィルヘルム1世が死ぬと、イギリス王位は姪ヴィクトリアが、ハノーファー王位は弟エルンスト・アウグスト1世が継ぐ。
ハノーファー王国は1866年にプロイセンに併合された。国と肩書きを失った元ハノーファー王家は、分家が断絶したのを受けて1884年にブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公位を継ぐ。1918年、君主制が廃止される。
ヴェルフェン家の初代イギリス王ジョージ1世の妹ゾフィー・シャルロッテがプロイセン王フリードリヒ1世妃、娘ゾフィーア・ドロテーアがフリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃となっており、ゾフィーア・ドロテーアの曾々孫がニコライ1世妃シャルロッテであるので、それ以後のロマーノフ家(現存する全ロマーノフ家)にはハノーファー系ヴェルフェン家の血が流れていることになる。
また、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はロシア皇帝パーヴェルの曾々孫にあたるので、現当主エルンスト・アウグスト4世(ヴィルヘルム2世の曾孫)にはロマーノフ家の血が流れている。
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赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はヴェルフェン家。赤紫枠は女性。