メクレンブルク家は中世から存続する唯一のスラヴ系 «王家» である。もっとも、完全にドイツ化されていてスラヴ的要素など微塵も見られない。
元来はバルト海沿岸に居住したスラヴ人のヴェンド人系オボドリト族の一首長の家系で、12世紀以来 «北方十字軍» でこの地で征服活動を活発に進めるヴェルフェン家と協調し、その臣下となって居城にちなんでメクレンブルク侯として認められた。以後急速にドイツ化し、14世紀には公に格上げされる。16世紀以来ルター派。
ドイツ諸侯の例に漏れず、メクレンブルク家も複数の系統に分かれているが、最終的に1701年にシュヴェリーン系とシュトレーリツ系のふたつに収斂し、いずれもヴィーン会議で大公の称号を認められている。
いずれも1871年にドイツ帝国に統合され(帝国内の大公国として存続)、1918年に君主制が廃止された。
シュヴェリーン系の方が何かとロマーノフ家と縁が深かったが、現在断絶。
シュトレーリツ系は本家が現在断絶。
ロマーノフ家の縁戚となったゲオルク・アレクサンダーとカール・ミヒャエルはそれぞれロシアに在住。あまつさえ、カール・ミヒャエルはロシア陸軍中将にまでなり、第一次世界大戦では祖国ドイツと戦っている。
ゲオルク・アレクサンダーとその子ゲオルクはともにスラヴ女性と結婚。現当主ゲオルク・ボルヴィンは、ロマーノフ家の血を引いているどころか半分近くスラヴ人の血である。ただし、2代にわたるスラヴ女性との結婚はいずれも貴賎結婚であり、ゲオルク・ボルヴィンはメクレンブルク家の当主としては認められているが、メクレンブルク大公の称号は認められていない(単なる Herzog zu Mecklenburg である)。
以下、スタイルシートで家系図を示す。環境次第では(正確に)表示されない。悪しからず。(正確に)表示されない場合はこちらの画像を。
赤枠はツァーリ・皇帝。水色枠はメクレンブルク家。赤紫枠は女性。