血友病:«王家の病気»

19世紀末から20世紀前半にかけて、ヨーロッパの一部王家では血友病が流行した。
 イギリス王子のオールバニー公レオポルドが31で死んだのをはじめ、ヘッセン大公家ではフリードリヒ、バッテンベルク家ではレーオポルトがそれぞれ幼くして血友病で死んでいる。ドイツ皇帝家でもふたりが発病し、テック公家、スペイン王家にも被害は広まった。
 特に著名なのが、ロシア皇帝ニコライ2世の皇太子であり唯一の息子であるアレクセイであろう。
 このため血友病は «王家の病気» とも呼ばれた。
 その源を辿っていくと、イギリス女王ヴィクトリアに行き着く。

 血友病は、基本的に女性を経由して遺伝し男性にのみ発病する、非常に女尊男卑な病気である。

 血友病とはX染色体の異常である。
 男性は母親から受け継いだX染色体と父親から受け継いだY染色体を、女性は父母それぞれからひとつづつ受け継いだふたつのX染色体を、持つ。
 つまり、男性は母親からしか血友病を遺伝しないが、女性は父母双方から遺伝する可能性がある。
 また、男性は必ず娘に血友病を遺伝するが、息子には遺伝させない。
 他方女性の場合、X染色体がふたつとも異常だった場合は必ず男女問わず子供に血友病を遺伝させるが、片方だけが異常の場合には遺伝させる可能性は50%である。そして女性のX染色体がふたつとも異常であるためには、その父母双方のX染色体が異常である必要がある。
 しかも、血友病を遺伝した場合、男性は必ず発病するのに対して、女性の場合はふたつのX染色体がともに異常であった場合(父母双方が異常遺伝子を持っていた場合)にのみ発病する。
 血友病は端的に言えば «血が止まらなくなる» 病気であり、現在ならばともかく、かつては長生きはできない病気であった。そのため、上記の点を勘案して少し考えていただければわかるだろうが、血友病患者の男性が成人して子をなす可能性はごくわずかで、他方、女性が血友病を発病する可能性は極めて少なかった。
 このため、理屈からすると血友病は男女どちらからも遺伝するし、男女どちらも発病するのだが、現実には «女性経由で遺伝して男性のみ発病する» という事態になる。

 ここで挙げた例でも、子をなした血友病の男性はオールバニー公レオポルドだけである。その息子カール・エドゥアルトには遺伝していないが、娘アリスには遺伝している。

 このため、非常にまれな場合をのぞいては、女性が血友病に遺伝しているかどうかは、«生んだ息子が発病したかどうか» でしか判断できない。ここの例で言うと、ヴィクトリア女王の娘たちのうち長女ヴィクトリア、三女ヘレン、四女ルイーズは、あるいは血友病を遺伝していたかもしれない。が、息子たちは発病していないし、娘たちの息子(孫息子)たちも発病していないので、おそらくは遺伝していなかったか、遺伝していたとしても子供たちには遺伝させなかったのだろう。

 以下、スタイルシートで家系図を示す。環境次第では(正確に)表示されない。悪しからず。(正確に)表示されない場合はこちらの画像を。
 赤枠は血友病を発病した者。赤紫枠は血友病の «キャリア»(本人は発病していないが異常遺伝子を持つ)。水色枠は血友病を遺伝していたかどうか不明の者。

イギリス女王ヴィクトリア
ヴィクトリア
王エドワード7世
アリス
エディンバラ公アルフレッド
ヘレン
ルイーズ
コノート公アーサー
オールバニー公レオポルド
ベアトリス
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世
王ジョージ5世
ヴィクトリア
エリーザベト
イレーネ
ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒ
フリードリヒ
アリックス
マリーア
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン公アルプレヒト
(アーガイル公家)
アリス
ザクセン=コーブルク&ゴータ公カール・エドゥアルト
アレクサンダー・フォン・バッテンベルク
ヴィクトリア・オイゲーニエ
レオポルド・マウントバッテン
モーリッツ
(マウントバッテン家)
(スウェーデン王家)
プロイセン公ヴァルデマール
プロイセン公ジギスムント
プロイセン公ハインリヒ
ロシア大公女オリガ
ロシア大公女タティヤーナ
ロシア大公女マリーヤ
ロシア大公女アナスタシーヤ
ロシア皇太子アレクセイ
メイ・オヴ・テック
ルーパート・オヴ・テック
モーリス・オヴ・テック
コバドンガ公アルフォンソ
セゴビア公ハイメ
ベアトリス
マリア・クリスティーナ
バルセロナ伯フアン
ゴンサーロ

 まず、ヴィクトリア女王が誰から染色体異常を受け継いだのか、という問題だが、父親の家系(ハノーヴァー家)にも母親の家系(ザクセン=コーブルク&ザールフェルト公家)にも、それらしき人物はいない。
 おそらくヴィクトリアのところで突然変異したものだろう、と想像される。

 ヴィクトリア女王には4人の男子がいたが、被害を受けたのは四男レオポルドだけだった。
 男性は男子に遺伝させないので、レオポルドの息子カール・エドゥアルトとその子孫には、血友病は遺伝されていない。
 他方、女子には必ず遺伝させるので、娘アリスは血友病のキャリアだった。そのふたりの息子は子を残しておらず、娘の子孫からも発病者は出ていないようなので、おそらくここで染色体異常は途絶えたのだろう。

 ヴィクトリア女王の5人の女子のうち、上述のように、長女ヴィクトリア、三女ヘレン、四女ルイーズの子孫には血友病を発病した者はいない。

 次女アリスはキャリアで、染色体異常をヘッセン大公家に持ち込んだ。幸い直接的な被害者はひとりで済んだが(血友病で死んだ男子はフリードリヒひとり)、最低ふたりの女子に染色体異常は遺伝された。長女ヴィクトリアの子孫(マウントバッテン家、スウェーデン王家)に血友病患者は見当たらず、おそらく彼女はキャリアではなかったのだろう。またエリーザベトとマリーアのふたりは子をなしていない。
 三女イレーネによって染色体異常はプロイセン王家に持ち込まれ、ふたりの息子が被害を受けた。しかしどちらも子を残さず、生き残ったジギスムントは血友病を発病しておらず、イレーネには女子がいなかったので、この系統の染色体異常はここで途絶えた。
 四女アリックスは言うまでもなくロシア皇帝ニコライ2世の妃アレクサンドラ・フョードロヴナである。その4人の娘に染色体異常が遺伝されていたか否かは、彼女らが子を残していないのではっきりしないが、皇太子アレクセイは幼少より血友病を発病。ただしこの系統でも、一家全員がボリシェヴィキーに処刑されたことで、染色体異常は後世に伝えられていない。

 ヴィクトリア女王の五女ベアトリスもキャリアで、バッテンベルク家の分家がその被害を受けた。そのひとりレオポルトは、ヴィクトリア女王の孫ということでイギリス国籍を取得し、イギリス貴族となってマウントバッテン(バッテンベルクの英語訳)を名乗った。それでも血友病に苦しみ、子を残さずに死んでいる。
 ベアトリスの娘ヴィクトリア・オイゲーニエはスペイン王妃となり、染色体異常をスペイン王家に持ち込んだ。このため、長男アルフォンソは王位継承権を放棄。四男ゴンサーロ共々、若くしてこの世を去っている。幸い次男ハイメと三男フアンには血友病は遺伝されていなかった。長女ベアトリスと次女マリア・クリスティーナの子孫にも、いまのところ血友病を発病した者はいないらしい。

 ヴィクトリア女王の4世代目以降の子孫で、血友病を発病した例はない。キャリアの可能性が最も疑われるのはスペイン王女ベアトリスとマリア・クリスティーナの娘たちであるが、あるいはヴィクトリア女王の突然変異に始まった染色体異常も、4世代目にして消え去ったのかもしれない。

▲ページのトップにもどる▲

最終更新日 03 05 2013

Copyright © Подгорный (Podgornyy). Все права защищены с 7 11 2008 г.

ロシア学事始
ロシアの君主
ロマーノフ家
inserted by FC2 system