ロシア用語の基礎知識:ハ

バイコヌール
カザフスターンの都市。しかし世界的にはこの名を冠した宇宙基地の方が有名。都市も宇宙基地も、2050年までロシアが借り上げている(このためロシアの法律が適用される)。1955年にミサイルの発射基地として建設された宇宙基地は、1957年のスプートニク打ち上げ以降、人工衛星や宇宙船などの打ち上げに使用されるようになった。都市の方は、関係者のために1965年に築かれた。ちなみに、都市の面積は 57 km²、宇宙基地の面積は 6 717 km²。宇宙基地がどれだけバカでかいかがわかる(ちなみに東京都は 2 187 km²)。
ハイフェッツ ヤッシャ
1901-87。ヴァイオリニスト。革命を逃れてアメリカに亡命。若くして名声を確立した。
パヴロフ ヴァレンティン
1937-2003。政治家。財務関係の官僚を経て、首相(1991)。インフレに対する対応や財政改革に取り組んだ。同時に連邦の解体に反対し、八月クーデタの首謀者のひとりとなる。
パヴロワ アンナ
1881-1931。バレリーナ。マリインスキイ、バレエ・リュッスで活躍した後、自前のバレエ団を率いて活躍。すでに革命前にはイギリスに拠点を移していた。
バカーティン ヴァディム
1937-。政治家。共産党のアパラーチクとして、キーロフ州やケーメロヴォ州の第一書記を歴任。ゴルバチョーフにより内相に抜擢され、ヴラーソフの後を受けて内務省のペレストロイカを推進するが、民族問題への対処をめぐって守旧派の攻撃にあい失脚。1991年、ロシア大統領選挙に、エリツィンの当選を阻むためにゴルバチョーフに擁立されるが、エリツィンどころかルィシコフやジリノーフスキイにも敗れ、ゴルバチョーフの人気の低さを印象付けた。八月クーデタ後、最後のKGB議長となり、その解体を指導した。
バグラティオン ピョートル
1765-1812。グルジア王族。ロシア軍総司令官。ナポレオンのロシア遠征ではクトゥーゾフの下で第二西部軍を指揮した。
バクラノフ オレーグ
1932-。政治家。軍需産業畑出身のテクノクラート。ゴルバチョーフにより中央に招かれ、共産党書記(1988-91)。ザイコーフの後任として軍需産業を統括する。ペレストロイカが進展して軍需産業も民需移転が図られると、これに強硬に反対。八月クーデタの首謀者のひとり。
«ハゲとふさふさ»
日本語でどう訳すのがふさわしいかよくわからないが、ロシア語で «лисый ─ волосатый» (ハゲ・禿頭の ⇔ 髪の豊かな)と言われる、ロシア・ソ連の最高指導者交替の法則。ハゲの指導者の後にはふさふさの指導者が、ふさふさの指導者の後にはハゲの指導者が就任する、という経験則から生まれた冗談である。
 実際、レーニン(ハゲ) ⇒ スターリン(ふさふさ) ⇒ フルシチョーフ(ハゲ) ⇒ ブレージュネフ(ふさふさ)と指導者が交替している。この法則がブレージュネフ時代に発見され、庶民の間に広まったが、発見者が誰かは不明(当然だ)。ソ連崩壊後、大統領選挙の時に話題になることがある。つまりこの法則は、ゴルバチョーフ(ハゲ) ⇒ エリツィン(ふさふさ)と、ソ連崩壊後も続いているからである。実際、プーティンはハゲとは言えないまでも頭髪が薄いし、メドヴェーデフはふさふさであった。
 ただし、所詮は経験則から生まれた冗談であるから、厳密性を求めると破綻する。たとえばスターリンも最晩年はかなり頭髪が薄くなってきていたように見えるし、ブレージュネフとゴルバチョーフの間のアンドローポフ、チェルネーンコのふたりはどちらとも言いづらい(両者とも白髪なのでわかり難いが、全体的な頭髪の薄さで言えばアンドローポフだが、チェルネーンコの方もかなり後退している)。ましてスターリンとフルシチョーフの間にマレンコーフを挟むと、この法則は成り立たない。そんなことを言えば、スターリンがレーニンの後を継いで最高指導者になった、という前提自体がおかしい。
 ただしこの法則はかなり浸透しており、レーニン以前に遡らせる試みや、単に頭髪の有無だけではなく他の要素も加味した法則を考え出す試みもある(たとえば «改革派» ⇔ «保守派»)。
ハザール
テュルク系の遊牧民族、およびその国家の名。本拠地は北カフカーズ。西突厥が弱体化した7世紀に自立。ヴォルガ下流域のイティルを首都とし、カスピ海北岸、南ロシア、さらにはウクライナに勢力を拡大。ブルガール人を追い、南カフカーズを巡ってイスラーム帝国と、クリミアを巡ってビザンティン帝国と対立。8世紀以降はビザンティン帝国と結んでイスラームと対立するようになった。いつの頃か、ユダヤ教に改宗している。10世紀に入ると、ヴォルガ・ブルガールが離反。キエフ・ルーシが成立し、ペチェネーグ人が襲来して弱体化。最終的に965年にイティルがキエフ大公スヴャトスラーフにより攻略されて、滅亡した。ただしその後もハザール人は各地で有力な政治勢力として存続している。
ハチャトゥリャン アラム
1903-78。作曲家。グルジアで生まれ育ち、生涯のほとんどをロシアで過ごしたものの、その作品にはアルメニア民謡の要素を取り入れ、アルメニア音楽の巨匠としてアルメニアでは讃えられている。『剣の舞』が有名。
バラキレフ ミーリー
1836-1910。作曲家。ただしロシア本国においても作曲家としてよりも «五人組» のリーダーとして有名。
バラライカ
ロシア風の弦楽器(もっとも由来は中央アジア)。通常3弦で、手で爪弾く点でギターと同じだが、ギターと違い正三角形をしている。
バランシーン ジョージ
1904-83。振付師。革命後に亡命し、バレエ・リュッスに参加。その後アメリカに移り、アメリカにおけるバレエの発展に多大の寄与をした。
バリシニコフ ミハイル
1948-。バレエダンサー。キーロフで期待の若手として注目を集めていたが、1974年にアメリカに亡命。アメリカン・バレエ・シアターで活躍した。
バルクライ・デ・トーリ ミハイル
1761-1818。貴族・軍人。元帥。フィンランド総督や軍事相を歴任し、ナポレオンのロシア遠征ではクトゥーゾフの下で第一西部軍を率いた。
ハルヒン・ゴル戦争
ノモンハン事件(1939)のこと。

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最終更新日 16 11 2016

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