ロシア用語の基礎知識:サ

ザイコフ レフ
1923-2002。政治家。レニングラード州共産党第一書記(1983-85)。その後共産党書記となり(1985-90)、重工業・軍需産業を統括する。共産党政治局員(1986-90)。エリツィンが失脚すると、モスクワ市共産党第一書記(1987-89)。
サイベリアン
英語では «シベリアの» という意味の形容詞だが、日本語では猫の品種のひとつ。ちなみにロシア語では単純に «シビールスカヤ・コーシュカ»(シベリアの猫)。«普通のコーシュカ»(ロシアン・ブルー)と異なり、丸っこい体つきの長毛種。その起源ははっきりしないが、からだの特徴などからもアンゴラやペルシャとの類縁性が考えられる。おそらく中央アジアから広がったものだろう。
サーヴィチェヴァ ターニャ
1930-44。レニングラード攻囲戦の犠牲者。次のような日記を残している。

ジェーニャ(姉)は1941年12月28日朝12時30分に死んだ。/お婆ちゃんは1942年1月25日昼の3時に死んだ。/リョーカ(兄)は1942年3月17日朝5時に死んだ。/ヴァーシャ叔父さんは1942年4月13日夜2時に死んだ。/リョーシャ伯父さんは1942年5月10日昼の4時。/ママは1942年5月13日朝7時30分。/サーヴィチェフ家は死んだ。/みんな死んだ。/残ったのはターニャひとり。

伯母の家に行っていたミーシャ(兄)と、仲間の工場労働者たちとともに疎開していたニーナ(姉)とは実は生き残っていたが、ターニャはその事実を知らなかった。ターニャも栄養失調、壊血症、結核などを併発して死んだ。彼女の日記はレニングラード攻囲戦のシンボルとしてソ連時代に大いに喧伝された。
ザカフカージエ
ロシア語の «ザ» という接頭辞は「向こう側」を意味するので、ザカフカージエとはモスクワから見たカフカーズの向こう側、すなわちカフカーズ山脈の南側であり、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアを指す。
ザスラフスカヤ タティヤーナ
1927-。経済学者。科学アカデミー・シベリア支部で活動。改革派の経済学者アガンベギャンの下で働き、同じく改革を志す。1983年、«ノヴォシビルスク文書» を執筆。一躍全連邦的にその名が知れ渡った。1988年にはソ連初の世論調査機関 ВЦИОМ を設立。
ザスーリチ ヴェーラ
1849-1919。革命家。トレーポフ暗殺未遂事件を起こすが、裁判では無罪となる。これはその後の帝政末期のテロの先駆けとなるが、彼女自身はその後テロに反対。社会主義運動にかかわるが、十月革命には反対した。
サモエード
ネネツ人、セリクープ人、ンガナサン人、エネツ人の旧称。かれらの話す言語はこんにちでも «サモエード語派» と呼ばれるが、かれら自身を指す場合は «サモディー» という言葉が使われる。これは、サモエードをロシア語で解釈すると «自分(サモ)» + «食(エード)»、すなわち、«自らを食らう者» となり、ここに差別語的ニュアンスを聞き取ったためである。もっとも、サモエードという言葉の本来の語源はロシア語ではない(だから差別的意味合いはない)、とする説もある。
 同時に、日本語や英語では、サモエードという言葉はかれらと千年以上の歴史をともにしてきた犬種の名でもある。もっともロシア語では «サモエーツカヤ・ソバーカ«(サモエードの犬)。見た目はスピッツ。犬ぞり用に飼育され、ナンセンやスコット、アムンゼンに用いられたことで知られる。
サリュート
フランス語の salut に由来するが、ロシア語では「軍隊の敬礼(捧げ銃、旗の掲揚、祝砲などによる)」を意味する。もっとも口語では「やぁ」という挨拶に使われている。1971年から1986年まで活躍した、ソ連の宇宙ステーションの名前でもある。1976年までは5機が実験用、軍事用などで打ち上げられたが、いずれも長続きしなかった。1977年に打ち上げられた6号は有人宇宙ステーションとして安定的に機能し、以後ソユーズで打ち上げられた宇宙飛行士はサリュートに滞在し、再びソユーズで地球に帰還するというパターンができあがった(ちなみにソユーズが運んだのは人だけ。物資はプログレス)。7号は1982年に打ち上げられ、1986年にミールと交替した(1991年に大気圏に再突入して飛散した)。その間に改良が続けられ、モジュールが足され、ドッキング・ポートも当初は1ヶ所だったのが2ヶ所に増やされている。滞在者数はのべで70人を数える。

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最終更新日 17 02 2013

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