1547年にイヴァン雷帝がツァーリとして戴冠するまでの正式な称号はモスクワ大公であった。
モスクワ大公も含む1547年以前のロシアの地の支配者については、ルーシ諸公について記したページを参照してもらいたい。
簡単に言えば、今日のロシアの地は、862年にノーヴゴロド公国ができた時点からしばらくは、そのほとんどが依然ウラル系やトルコ系の民族の居住地だった。
やがてキエフ大公を中心としてスラヴ人が勢力を拡大させていく。その中からノーヴゴロド共和国とヴラディーミル大公国とが台頭してキエフ大公の権力から離脱していくが、後者は1240年以降キプチャク・ハーンに従属することになった。これが «タタールのくびき» である。
«タタールのくびき» の下で、キエフ大公同様に実権を失ったヴラディーミル大公に代わってその覇権を握ったのがモスクワ大公であった。歴代モスクワ大公は周辺諸公領を次々に併合し、ニジェゴロド=スーズダリ大公、トヴェーリ大公、リャザニ大公などのライバルを下し、ノーヴゴロド共和国を破壊していく。こうしてロシアはモスクワ大公によって統一されたのである。
全ルーシの大君主ツァーリ Великий Государь Царь всея Руси
在位年 | 名 | 血縁関係 | ロシア語表記 |
---|---|---|---|
1547-84 | イヴァン4世雷帝 | リューリク家モノマーシチ(モスクワ系) | Иоанн Грозный |
1584-98 | フョードル1世 | 子 | Федор Иоаннович |
1598-1605 | ボリース・フョードロヴィチ・ゴドゥノーフ | ゴドゥノーフ家 | Борис Годунов |
1605 | フョードル2世・ボリーソヴィチ・ゴドゥノーフ | 子 | Федор Годунов |
1605-06 | 偽ドミートリイ1世 | 正体不明 | Лжедмитрий I |
1606-10 | ヴァシーリイ4世・イヴァーノヴィチ・シュイスキイ | リューリク家モノマーシチ(スーズダリ系) | Василий Шуйский |
1610-13 | 空位 | ||
1613-45 | ミハイール・フョードロヴィチ・ロマーノフ | ロマーノフ家 | Михаил Романов |
1645-76 | アレクセイ・ミハイロヴィチ | 子 | Алексей Тишайший |
1676-82 | フョードル3世 | 子 | Федор Алексеевич |
1682-96 | イヴァン5世 | 弟 | Иоанн Алексеевич |
1682-1721 | ピョートル1世大帝 | 弟 | Петр Великий |
全ロシアの皇帝にして専制君主 Император и Самодержец Всероссийский
在位年 | 名 | 血縁関係 | ロシア語表記 |
---|---|---|---|
1721-25 | ピョートル1世大帝 | Петр Великий | |
1725-27 | エカテリーナ1世 | 妃 | Екатерина Алексеевна/Martha Skavronska |
1727-30 | ピョートル2世 | ピョートル大帝の孫 | Петр Алексеевич |
1730-40 | アンナ・イヴァーノヴナ | イヴァン5世の子 | Анна Иоанновна |
1740-41 | イヴァン6世 | 姉の孫(エステ家) | Иван Антонович |
1741-61 | エリザヴェータ | ピョートル大帝の子 | Елизавета Петровна |
1761-62 | ピョートル3世 | 甥(オルデンブルク家) | Петр Федорович/Karl Peter Ulrich |
1762-96 | エカテリーナ2世 | 妃(アスカニア家) | Екатерина Алексеевна/Sophie Friderike Augusta |
1796-1801 | パーヴェル1世 | 子 | Павел Петрович |
1801-25 | アレクサンドル1世 | 子 | Александр I Победитель |
1825-55 | ニコライ1世 | 弟 | Николай I |
1855-81 | アレクサンドル2世 | 子 | Александр II Освободитель |
1881-94 | アレクサンドル3世 | 子 | Александр III Миротворец |
1894-1917 | ニコライ2世 | 子 | Николай II |