ゲドヴィダス
Gedvydas/Edivydas
公
生:?
没:?
父:ダウスプルンガス?
母:?
結婚:?
子:?
ロシア語ではエディヴィド Эдивид。
ミンダウガスの甥。
1248年以降行動をともにしたタウトヴィラスは兄弟、ヴィキンタスは伯父・叔父だとされる。またミンダウガスも伯父・叔父と言われる。
ミンダウガスの兄弟はダウスプルンガスしか知られていないため、ゲドヴィダス & タウトヴィラス兄弟の父親はダウスプルンガスだったろうとされている。
妹が1249年頃にダニイール・ロマーノヴィチと結婚したと言われる。もしこの妹が初婚であったならば、その生年は1230年頃と考えられるだろうか。とするとゲドヴィダスも、もし同母兄妹であったならば、1220年代の生まれと想像することができよう。
1248年、タウトヴィラス、ヴィキンタスとともに、ミンダウガスによりスモレンスク征服に派遣される。ゲドヴィダス等はプロトヴァ河畔の戦いでモスクワ公ミハイール・ホローブリトを破るが(ミハイール・ホローブリトは戦死)、ズブツォーフ近郊でヴラディーミル大公スヴャトスラーフ・フセヴォローディチに敗北。
敗北を知ると、ミンダウガスは3人の領土を併合。3人は1249年、ガーリチ公ダニイール・ロマーノヴィチのもとに逃亡。そこで、ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ヴァシリコ・ロマーノヴィチ(ダニイールの弟)、リヴォニア騎士団、ジェマイティヤ貴族と結び、反ミンダウガス同盟を締結。またこの時、ダニイール・ロマーノヴィチがゲドヴィダスの妹と結婚したらしい。
1252年には、リトアニア内奥に攻め入ったが、ミンダウガスに撃退された。この間、ミンダウガスはリヴォニア騎士団と講和し、ローマ教皇に取り入って王位を獲得。さらにこの頃ヴィキンタスも死に、ゲドヴィダス & タウトヴィラスはガーリチ=ヴォルィニに退却することを余儀なくされた。
1253年、ダニイール・ロマーノヴィチはボヘミアに侵攻。これにはゲドヴィダス & タウトヴィラスの兄弟も従軍している。ゲドヴィダスが同時代史料に登場したのはこれが最後となった。おそらく戦闘で戦死したものと想像される。