ユーリー・コリアトヴィチ
Юрий Кориатович
ポドーリエ公 князь Подольский (1363-)
ホルム公 князь Холмский (1366-70)?
生:?
没:?
父:ノヴォグルードク公カリヨタス (リトアニア大公ゲディミナス)
母:?
結婚:?
子:?
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではユルギス・カリヨタイティス Jurgis Karijotaitis。
1363年、青水の戦いに従軍。兄弟とともに、アルギルダスからポドーリエをもらった。ポドーリエはもともとキエフ公領、ガーリチ公領、ヴォルィニ公領にまたがっていた地域で、この時新たに地理的概念として成立した。
しかしガーリチ=ヴォルィニでは、すでに20年来、叔父のリウバルタスがその領有を巡ってポーランド王カジミェシュ大王と激しく争っていた。そこに新たにコリアトヴィチ兄弟が乗り込んできたことで、あるいはコリアトヴィチ兄弟とリウバルタスとの間に確執が生まれたのかもしれない。それもあってか、ユーリー・コリアトヴィチはアレクサンドル・コリアトヴィチとともに、カジミェシュ大王の側に立ってリウバルタスと戦っている。1366年にはホルムを与えられたといわれるが、それも1370年のカジミェシュ大王の死で失ったらしい。
1374/75年ないし1387年、モルドヴァ貴族に公として招かれる。しかしモルドヴァに赴いた直後に毒殺された。どちらの時期も、モルドヴァでは公位を巡る争いのあった時期である。