Гедиминовичи / Gediminaičiai
ゲディミナス家(ロシア語ではゲディミノヴィチ)はリトアニア大公ゲディミナスの子孫を言う。普通は «ロシアの王家» には数えられない。出身はリトアニアだし、リトアニア人をたばねたリトアニア大公国の大公家だし。
しかし13世紀以降ベラルーシやウクライナの分領の公となり、またこれらを征服し、最終的にはキエフ・ルーシの大半を領有するにいたった家系である。ベラルーシやウクライナの歴史を考える上で避けて通れない王家であることに間違いはない。
しかも、その分家の中にはロシア史の上で非常に大きな役割を演じた家系も多々ある(ゴリーツィン家、トルベツコーイ家など)。
ま、ついで、でもあるので。
なお原則として、異教徒としての名がわかっている者についてはそれをリトアニア語読みし、見出し・本文にて使用した。カトリックとしての洗礼名しか知られていない者は、それをポーランド語読みした。正教徒としての洗礼名しか知られていない者は、それをロシア語読みした。
スカルマンタス/ブティゲイディス/ブトヴィダス/ヴィテニス/ゲディミナス/テオドラス/ヴァイニウス/マルギリス/
ナリマンタス/アレクサンドラス/ミコラス/ユルギス/パトリカス/
アルギルダス/アンドリウス/ドミトリユス/ヴラディミラス/コンスタンティナス/テオドラス/ヨガイラ/スキルガイラ/カリブタス/ジギマンタス/レングヴェニス/カリガイラ/ヴィガンタス/シュヴィトリガイラ/
ケーストゥティス/ヴァイドタス/ヴァイシュヴィラス/ブタウタス/タウトヴィラス/ヴィタウタス/ジギマンタス/ミコラス/
リウバルタス/テオドラス/
ヤウヌティス/
カリヨタス/アレクサンドラス/ユルギス/テオドラス/
マントヴィダス/
ヴォルィンスキイ家 : ドミートリイ・ボブローク/
オレリコヴィチ家 : オレリコ・ヴラディーミロヴィチ/セミョーン・オレリコヴィチ/ミハイール・オレリコヴィチ/セミョーン・ミハイロヴィチ/ユーリイ・セミョーノヴィチ/ユーリイ・ユーリエヴィチ/ユーリイ・ユーリエヴィチ/
クラーキン家 : アンドレイ・イヴァーノヴィチ/
コブリンスキイ家 : ロマーン・フョードロヴィチ/セミョーン・ロマーノヴィチ/イヴァン・セミョーノヴィチ/
ゴリーツィン家 : ミハイール・イヴァーノヴィチ/ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ/ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ/アンドレイ・ヴァシーリエヴィチ/
サングーシュコ家 : サングーシュコ/
チャルトルィスキ家 : ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ/イヴァン・ヴァシーリエヴィチ/アレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ/ミハイール・ヴァシーリエヴィチ/フョードル・ミハイロヴィチ/アレクサンドル・フョードロヴィチ/イヴァン・フョードロヴィチ/イェジ/ミコワイ・イェジ/カジミェシュ・フロリアン/ミハウ・イェジ/ヤン・カロル/カジミェシュ/ミハウ・フリデリク/アウグスト・アレクサンデル/テオドル・カジミェシュ/アダム・カジミェシュ/アダム・イェジ/
トルベツコーイ家 : ミハイール・ドミートリエヴィチ/セミョーン・ミハイロヴィチ/イヴァン・セミョーノヴィチ/アンドレイ・イヴァーノヴィチ/ミハイール・アンドレーエヴィチ/ヴァシーリイ・アンドレーエヴィチ/アンドレイ・ヴァシーリエヴィチ/イヴァン・イヴァーノヴィチ/フョードル・イヴァーノヴィチ/セミョーン・イヴァーノヴィチ/ロマーン・セミョーノヴィチ/ニキータ・ロマーノヴィチ/ティモフェイ・ロマーノヴィチ/ドミートリイ・ティモフェーエヴィチ/
ユーリイ・ミハイロヴィチ/イヴァン・ユーリエヴィチ/アレクサンドル・イヴァーノヴィチ/セミョーン・アレクサンドロヴィチ/
パトリケーエフ家 : パトリケイ・ナリムントヴィチ/フョードル・パトリケーエヴィチ/ユーリイ・パトリケーエヴィチ/ヴァシーリイ・ユーリエヴィチ/イヴァン・ユーリエヴィチ/ヴァシーリイ・イヴァーノヴィチ/イヴァン・ブルガーク/ダニイール・シチェニャー/アレクサンドル・パトリケーエヴィチ/
ベリスキイ家 : イヴァン・ヴラディーミロヴィチ/フョードル・イヴァーノヴィチ/ドミートリイ・フョードロヴィチ/イヴァン・ドミートリエヴィチ/イヴァン・フョードロヴィチ/セミョーン・フョードロヴィチ/セミョーン・イヴァーノヴィチ/
ホヴァンスキイ家 : ヴァシーリイ・フョードロヴィチ/フョードル・イヴァーノヴィチ/アンドレイ・フョードロヴィチ/
ムスティスラーフスキイ家 : ユーリイ・セミョーノヴィチ/イヴァン・ユーリエヴィチ/イヴァン・フョードロヴィチ/フョードル・イヴァーノヴィチ/
ヤギェウォ家 : ヴワディスワフ/カジミェシュ/ヴワディスワフ/ルドヴィク/聖カジミェシュ/ヤン・オルブラフト/アレクサンデル/ジグムント老王/ジグムント・アウグスト/
ルーシとの関係
ゲディミナスの妻がそもそもルーシ出身だとする文献がある。すなわち、スモレンスク公女とポーロツク公女がそれぞれ2人目、3人目の妻だった、と記述した年代記があるのだが、異説もある。しかしすでに、ゲディミナスの兄とされるヴィテニスの時代にリトアニアはルーシへの領土進出を開始しており、さらにベラルーシ・ウクライナへと領土を拡大させたゲディミナスの妻がルーシの公女であっても不思議はない。
事実、ゲディミナスの息子らは早くからルーシの公となっている。また娘もふたりまでもルーシ諸公と結婚させている。
ゲディミナスの死後、一旦はヤウヌティスがリトアニア本領を継ぐが、アルギルダスがこれを追ってリトアニア大公となった。リトアニア大公位はアルギルダスの死後、キリスト教受容派と反対派、東方(ルーシ)進出派と西方(リヴォニア・ポーランド)重視派などの対立、さらにはポーランドとの同君連合がからんで混迷するが、最終的にはヨガイラの直系に相続されることになった。
すでにゲディミナスの時代にリトアニアはこんにちのベラルーシ、ウクライナに大きく領土を拡大し、アルギルダスの時代には一通り平定作業を完了させていた。すなわち、ナリマンタスもアルギルダスも、早く父の存命中からルーシに領土を有していた。アルギルダス兄弟でルーシに領土を持たなかったのは、最終的にはケーストゥティスとマントヴィダスだけである。しかもこのふたりにアルギルダスを含めた3人はキリスト教に改宗しなかったが、残るナリマンタス、ヤウヌティス、カリヨタス、リウバルタスはキリスト教、しかも正教に改宗している。ルーシに領土を持つ正教徒、ということで、言うならばルーシ諸公の一員となったわけだ。この4人が、異教風の名よりも正教徒としての洗礼名で一般に知られているのも偶然ではない。
4人の息子たちはいずれもキリスト教徒としての名前(しかも正教徒風)しか知られていない。正教徒として生まれたのか(異教風の名前を持っていなかったのか)、のちに正教に改宗したのかはわからないが、正教徒としてルーシ諸公となれば、«土着化» していくのは必然であろう。ホヴァンスキイ家、ゴリーツィン家、クラーキン家、ヴォルィンスキイ家、トルベツコーイ家、ベリスキイ家、ムスティスラーフスキイ家などがロシアで活躍した名家である。リトアニア貴族となったチャルトルィスキ家やサングーシュコ家にしても、その本領はリトアニア本国ではなく旧ルーシ(ウクライナ・ベラルーシ)にある。
これに対して、アルギルダス、ケーストゥティス、そしてその子ら(アルギルダスの場合はトヴェーリ公女との子ら)は、いずれも異教風の名前で知られ、しかもアルギルダスの息子たちを除いてその分領はルーシにはない。特に重要なのは、かれらが比較的遅くまでキリスト教徒とならず、しかも改宗した際にも正教徒ではなくカトリックとなった点である。もちろん、カリブタスやレングヴェニスのように、他の一族と同じように正教徒となった者もいる。しかしヨガイラ、ヴィタウタス、ジギマンタスなどカトリックとなった者が多数で、それどころかシュヴィトリガイラやカリガイラのように正教からカトリックに改宗した者すらいる。
父 | リトアニア系 異教名 | 洗礼名 | ||
---|---|---|---|---|
リトアニア語 | ポーランド語 | ロシア語 | ||
ゲディミナス | ナリマンタス | グレバス | グレブ | グレーブ |
アルギルダス | − | − | − | |
ケーストゥティス | − | − | − | |
ヤウヌティス | ヨナス/イヴァナス | ヤン/イヴァン | イヴァン | |
カリヨタス | ミコラス | ミハウ | ミハイール | |
リウバルタス | ドミトリユス | ディミトル | ドミートリイ | |
マントヴィダス | − | − | − | |
アルギルダス | ヨガイラ | ヴラディスロヴァス | ヴワディスワフ | ヴラディスラーフ |
スキルガイラ | ヨナス/イヴァナス カジミエラス | ヤン/イヴァン カジミェシュ | イヴァン カジミール | |
カリブタス | ドミトリユス | ディミトル | ドミートリイ | |
レングヴェニス | シモナス | シモン | セミョーン | |
カリガイラ | ヴォシリウス カジミエラス | ヴァシル カジミェシュ | ヴァシーリイ カジミール | |
ヴィガンタス | アレクサンドラス | アレクサンデル | アレクサンドル | |
シュヴィトリガイラ | レオナス ボレスロヴァス | レフ ボレスワフ | レフ ボレスラーフ | |
ケーストゥティス | ヴァイドタス | ヨナス/イヴァナス | ヤン/イヴァン | イヴァン |
ブタウタス | ヘンリカス | ヘンリク | ゲンリフ | |
タウトヴィラス | コンラダス | コンラド | コンラート | |
ヴィタウタス | アレクサンドラス | アレクサンデル | アレクサンドル | |
? | ジギマンタス | ジグムント | シギスムント |
末裔
ヨガイラの系統はポーランドではヤギェウォ家と呼ばれ、ポーランド、リトアニア、ボヘミア、ハンガリーの王位を独占して中東欧に君臨したが、16世紀には断絶した。
これ以外のゲディミナス家の末裔は、いずれもリトアニア貴族、ポーランド貴族、ロシア貴族となっている。ヨガイラの兄テオドラス、あるいは弟レングヴェニスの子孫はサングーシュコ家。同じく弟カリブタスの子孫のヴィシュニョヴェツキ家、また叔父ヤウヌティスの子孫のザスワフスキ家は、どちらもリューリコヴィチの末裔だとの説もあってはっきりしない。いずれにせよ、これらはロシア史とは無縁である。
ヨガイラの甥キエフ公アレクサンドル(オレリコ)・ヴラディーミロヴィチの子孫はオレリコヴィチ家(ポーランド語でオレルコヴィチ)。かれらはモスクワ大公国・ロシア帝国の歴史において活躍したわけではないし、1600年までに断絶しているものの、歴代キエフ公、スルーツク公を輩出している。
ベリスキイ家は、オレリコヴィチ家の祖アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチの弟イヴァン・ヴラディーミロヴィチを祖とし、その子フョードルらが相次いでモスクワ大公イヴァン3世に仕える。
フョードルの子ドミートリイとイヴァンは母がモスクワ大公ヴァシーリイ3世の従姉妹(リャザニ公女)だったこともあり、宮廷で大きな力を持った。イヴァン雷帝の幼年時代には政治の実権をめぐって一方の雄としてシュイスキイ家と激しく争い、1540年から41年にかけては実質的なロシアの支配者として君臨した。その後もイヴァン雷帝治下で活躍するが、1570年代を最後に歴史の表舞台からは姿を消す(フョードル治世に摂政会議のメンバーとなったのは別の家系)。
ムスティスラーフスキイ家はレングヴェニスがムスティスラーヴリを所領としたところから姓となった。ヴァシーリイ3世によりムスティスラーヴリはモスクワに併合され、ミハイール・イヴァーノヴィチはヴァシーリイ3世に仕えるようになった。
16世紀後半、イヴァン・フョードロヴィチがイヴァン雷帝とフョードル1世の重臣として活躍(フョードル1世の摂政のひとり)。その子フョードル・イヴァーノヴィチは、フョードル1世、ボリース・ゴドゥノーフ、フョードル2世、偽ドミートリイ1世、ヴァシーリイ・シュイスキイ、ミハイール・ロマーノフのすべてに仕え、軍人として活躍している。特に1610年には «セミボヤールシチナ(7人の大貴族によるツァーリなき政府)» のメンバーとなった。
しかしフョードル・イヴァーノヴィチの死(子なし)後は、ムスティスラーフスキイ家は歴史から姿を消している。
チャルトルィスキ家はロシアとは無縁で、リトアニア=ポーランド貴族として知られる。コンスタンティナス(通常アルギルダスの子とされるが、カリヨタスの子とする説もある)がヴォルィニのチャルトルィスクを所領としたところから始まる。
長い雌伏の時を経て、17世紀末以降、«改革派» としてワルシャワ宮廷にて勢力を拡大。その最盛期はスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ時代であろう(ポニャトフスキ家とは姻戚関係にあった)。
ポニャトフスキとの関係からか、ロシア派となり、ポーランド分割後も、ポーランド復興をナポレオンに託したユゼフ・ポニャトフスキとは逆に、チャルトルィスキ家はロシアに密着。アダム・カジミェシュ(スタニスワフ・アウグストの従兄弟)は皇帝アレクサンドル1世の親友(妃エリザヴェータの愛人でもあった)として、特に治世前半のリベラリズムを象徴する協力者となった。«会議王国» が建設されてアレクサンドル1世がその王を兼ねることになったのは、かれの尽力の結果でもある。
十一月蜂起後はアダム・カジミェシュがパリに «亡命政府» を組織。以後、チャルトルィスキ家は «亡命政府» の «顔» として活躍している。
リトアニア | ポーランド | ハンガリー | ボヘミア | ドイツ | |
---|---|---|---|---|---|
ゲディミナス | カジミェシュ大王 | カーロイ1世 | ヨハン盲目王 | ルートヴィヒ4世 | |
1341 | ヤウヌティス | カジミェシュ大王 | カーロイ1世 | ヨハン盲目王 | ルートヴィヒ4世 |
1342 | ヤウヌティス | カジミェシュ大王 | ラヨシュ大王 | ヨハン盲目王 | ルートヴィヒ4世 |
1345 | アルギルダス | カジミェシュ大王 | ラヨシュ大王 | ヨハン盲目王 | ルートヴィヒ4世 |
1346 | アルギルダス | カジミェシュ大王 | ラヨシュ大王 | カール4世 | |
1370 | アルギルダス | ラヨシュ大王 | カール4世 | ||
1377 | ヨガイラ | ラヨシュ大王 | カール4世 | ||
1378 | ヨガイラ | ラヨシュ大王 | ヴェンツェル | ||
1382 | ヨガイラ | ヤドヴィガ | マリア | ヴェンツェル | |
1386 | ヨガイラ | ジギスムント | ヴェンツェル | ||
1392 | ヴィタウタス | ヨガイラ | ジギスムント | ヴェンツェル | |
1400 | ヴィタウタス | ヨガイラ | ジギスムント | ヴェンツェル | ループレヒト |
1410 | ヴィタウタス | ヨガイラ | ジギスムント | ヴェンツェル | ジギスムント |
1419 | ヴィタウタス | ヨガイラ | ジギスムント | ||
1430 | シュヴィトリガイラ | ヨガイラ | ジギスムント | ||
1432 | ジギマンタス | ヨガイラ | ジギスムント | ||
1434 | ジギマンタス | ヴワディスワフ3世 | ジギスムント | ||
1437 | ジギマンタス | ヴワディスワフ3世 | アルプレヒト2世 | ||
1440 | カジミェシュ4世 | ヴワディスワフ3世 | ラディスラウス | フリードリヒ3世 | |
1444 | カジミェシュ4世 | ラディスラウス | フリードリヒ3世 | ||
1457 | カジミェシュ4世 | マーチャーシュ | イジー | フリードリヒ3世 | |
1471 | カジミェシュ4世 | マーチャーシュ | ヴワディスワフ | フリードリヒ3世 | |
1490 | カジミェシュ4世 | ヴワディスワフ | フリードリヒ3世 | ||
1492 | アレクサンデル | ヤン・オルブラフト | ヴワディスワフ | フリードリヒ3世 | |
1493 | アレクサンデル | ヤン・オルブラフト | ヴワディスワフ | マクシミリアン1世 | |
1501 | アレクサンデル | ヴワディスワフ | マクシミリアン1世 | ||
1506 | ジグムント老王 | ヴワディスワフ | マクシミリアン1世 | ||
1516 | ジグムント老王 | ルドヴィク | マクシミリアン1世 | ||
1519 | ジグムント老王 | ルドヴィク | カール5世 | ||
1526 | ジグムント老王 | フェールディナント1世 | カール5世 | ||
1548 | ジグムント・アウグスト | フェールディナント1世 | カール5世 |
※とりあえずゲディミナス家はリトアニア語表記、ただしヨガイラ以外のヤギェウォ家はポーランド語表記。また、ルクセンブルク家(黄)とハプスブルク家(青)はドイツ語表記。
かなり単純化している。