ブティゲイディス
Butigeidis
リトアニア大公 (1285-91)
生:?
没:?
父:スカルマンタス?
母:?
結婚:?
子:?
ロシア語ではブティゲイド Бутигейд。
ダウマンタスの後を継いでリトアニア大公になったと想像されている。
1289年、ネムナス/ネマン河畔のドイツ騎士団領を攻撃。この年ドイツ騎士団はネムナス河畔にティルジットを築いており(520年後にナポレオンとアレクサンドル1世が会見した場所)、これに対抗するためブティゲイディスはネムナス河沿いに城砦を築く。
トライデニスの治世(1269-82)にリトアニアはドイツ騎士団を圧迫し、ネムナス河畔やゼムガレ/セミガリア(現ラトヴィア西部)へと勢力を拡大している。しかしそれから10年近くが過ぎて、どうやらこの頃は勢力バランスが逆転していたようだ。ゼムガレはリヴォニア騎士団の領土となり、ネムナス河畔でもリトアニアは受身にまわっている。
同じ1289年、ブティゲイディスと弟ブトヴィダスは、«黒ルテニア» にあるヴォルコヴィスク(ヴァウカヴィスク)をヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ムスティスラーフ・ダニイーロヴィチに譲渡し、ガーリチ=ヴォルィニとの友好関係を固めた。ここでも、逆にガーリチ=ヴォルィニ勢力を圧していたトライデニスの治世から逆転現象が起こっている。