オレリコ・ヴラディーミロヴィチ
Олелько Владимирович
スルーツク公 князь Слуцкий и Копыльский (-1454)
キエフ公 князь Киевский (1443-54)
生:?
没:1454/55
父:キエフ公ヴラディーミル・オリゲルドヴィチ (リトアニア大公アルギルダス)
母:?
結婚:1417
& アナスタシーヤ -1470 (モスクワ大公ヴァシーリイ1世)
子:
名 | 生没年 | 分領 | 配偶者 | 生没年 | その親・肩書き | その家系 | |
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母親不詳 | |||||||
1 | セミョーン | -1470 | キエフ | マリア | ヨナス・ゴシュタウタス | ||
2 | ミハイール | -1481 | スルーツク | ||||
3 | ユリアーナ | ユーリイ・フョードロヴィチ | プロンスク公 | リューリク家 | |||
4 | エヴドキーヤ | ステパン3世偉大公 | モルドヴァ公 | ||||
フェオドーシヤ |
ゲディミノヴィチ。正教徒。リトアニア語ではオレルカ・ヴラディミロヴィチウス Olelka Vladimirovičius。
オレリコヴィチ家の祖。«オレリコ» というのは、おそらくアレクサンドルが省略された形(こんにち一般的に使われることはない)。
父は1393/94/95年にヴィタウタスにキエフから追われ、スルーツクをもらった。死亡年は不明。オレリコ・ヴラディーミロヴィチは、おそらく父の死後、スルーツクを継承していたものと思われる。キプチャク・ハーン軍との戦いの主力となって活躍した。
1430年、ヴィタウタスが死去。オレリコ・ヴラディーミロヴィチはルーシ貴族に人気があり、この時は大公位継承の候補に挙げられたと言う。しかし実際にリトアニア大公に選ばれたのは、叔父シュヴィトリガイラであった。弟イヴァン・ヴラディーミロヴィチもシュヴィトリガイラを支持している。
1432年にはクーデタでジギマンタスが大公位を奪うが、オレリコ・ヴラディーミロヴィチは当初ジギマンタスを支持した(このクーデタには弟イヴァン・ヴラディーミロヴィチも参画している)。のち、兄弟揃ってシュヴィトリガイラ派に寝返ったらしい。とはいえシュヴィトリガイラ派も1437年以降は壊滅し、オレリコ・ヴラディーミロヴィチもいつかの時点でジギマンタスに屈していたのだろう。
1442年、時のリトアニア大公カジミェシュに直訴し、«ヴォーッチナ(父祖の地)» としてキエフ、ジトーミル、オーヴルチなどを獲得したらしい。