ソ連

国号

 ソヴィエト社会主義共和国連邦 Союз Советских Социалистических Республик (Soyuz Sovetskikh Sotsialisticheskikh Respublik)。略称として、ソヴィエト連邦 Советский Союз (Sovetskiy Soyuz)、あるいは СССР (SSSR)が使用された。
 日本語では、«ソ連» ないし «ソ連邦» という略号が頻繁に使用された。

 この国号は、複数の「ソヴィエト社会主義共和国」がつくった連邦という意味である。建国当初は、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国、ベロルシア・ソヴィエト社会主義共和国、ザカフカージエ・ソヴィエト連邦社会主義共和国の4つがソヴィエト社会主義共和国連邦を構成した(この4つを「連邦構成共和国」と呼ぶ)。
 その後、ロシアからカザフとキルギスが分離。またブハラとヒヴァ(独立国)とをあわせてウズベク、タジク、トゥルクメンに再構成。さらにザカフカージエがアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアに分裂して、第二次世界大戦前に連邦構成共和国の数は11に膨れ上がっていた。
 第二次世界大戦を経て、新たに併合した領土からエストニア、ラトヴィア、リトアニア、カレリア、モルダヴィアが加わり、連邦構成共和国は16となった。
 その後1956年にカレリアが消えて、以後ソ連崩壊まで連邦構成共和国の数は15のままだった。

 「ソヴィエト」というのはロシア語で本来「助言、アドバイス」という意味であり、それが転じて帝政時代後半から「評議会、審議会、協議会、会議」という意味で使われるようになっていた。
 1905年の第一革命に際して、サンクト・ペテルブルクの労働者たちが自ら組織化し、«労働者代表ソヴィエト» という組織をつくりあげた。これはすぐに解散させられるが、1917年の二月革命で復活。十月革命を起こしたボリシェヴィキーはこの «労働者代表ソヴィエト» を牛耳ることで自らの権力奪取を正当化し、以後 «ソヴィエト» はボリシェヴィキー国家の根幹的権力機関となった。
 つまり、ソヴィエト社会主義共和国連邦という国号には、固有名詞がひとつも含まれていない。世界革命を夢見、全人類社会の共産主義化を目指したボリシェヴィキーに相応しい、普遍的(無個性的)性格の国号である。

建国

 1922年12月30日。
 この日、上記ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国、ベロルシア・ソヴィエト社会主義共和国、ザカフカージエ・ソヴィエト連邦社会主義共和国の4つが統一の «ソヴィエト大会» を開催し、«条約» を締結。ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した。

消滅

 1991年12月25日。
 この日、ソ連の初代にして唯一の大統領ミハイール・ゴルバチョーフがTV演説をし、ソ連大統領からの辞任とソ連の解体を宣言した。クレムリンからソ連の赤旗が下ろされ、替わってロシアの三色旗が掲げられた。

政治体制

国権

 プロレタリアート独裁(事実上、共産党の一党独裁)。
 司法・立法・行政の3権はすべてソヴィエトに握られている。連邦レベルには連邦の最高ソヴィエト(最高会議)があり、これが国権の最高機関である。その常設機関が最高ソヴィエト幹部会であり、最高ソヴィエト幹部会議長が国家元首となる。
 行政については政府があたることになる。閣僚たちから成る閣僚会議の議長が首相である。
 しかしソ連は社会主義国家であり、ソ連共産党が事実上唯一の政党としてこれを «指導» している。このため、最高ソヴィエトも閣僚会議も、事実上ソ連共産党に従属していた。
 ソ連共産党の最高機関は党大会であり、常設機関として中央委員会がある。中央委員会には議長や委員長はいない。
 しかし中央委員会すら肥大化した結果、中央委員会における日常的な意思決定機関として政治局が設けられた。政治局にも局長や議長はおらず、最小で5人、最大で16人の政治局員がソ連共産党の最高権威ということになる。なお、一時期政治局は幹部会と呼ばれていた。
 ソ連共産党には、党務処理担当の書記が存在する。これもやがて肥大化し書記局となるが、書記局の長が書記長である。政治局に長がいなかったこと、初代書記長のスターリンが権力闘争に勝利したこと、等により、事実上書記長がソ連共産党の最高指導者となり、ひいてはソ連の最高指導者となった。なお、一時期書記長は第一書記と呼ばれていた。
 以上を図式的に整理すると、おおよそ以下のようになる。即ち、最高指導者としてソ連共産党中央委員会書記長がいる。その下に、ソ連共産党中央委員会政治局員、同政治局員候補、同書記が、合計で20人ほどいる。そしてその下にソ連共産党中央委員と中央委員候補が100人から300人ほどいる。これがソ連における最高エリート集団である。
 最高ソヴィエトも閣僚会議も、形式的にはソ連共産党の «指導» を受ける立場であるから、この下に位置するということになる。とはいえ、閣僚会議議長や主要閣僚は、ソ連共産党中央委員を兼務しており、特に閣僚会議議長は必ず政治局員でもあった。国防相や外相、秘密警察長官なども、同じく政治局員を兼務していたことがある。このため、単純に政府は共産党の下に位置する、とは言い切れない。

連邦制度

 日本語では「連邦」と訳すのが一般的になっているが、この言葉はロシア語では「ソユーズ」といい、本来「結びつき、結びついてできたもの」を意味して、「結社」とか「同盟」という意味で使われる。秘密結社とか三国同盟といった類である。ソ連時代の百科事典で「ソユーズ」を引くと、「同盟」と「接続詞」のふたつの意味しか出ていない。日本でもかつてソ連邦ではなく «ソ同盟» と訳すことがあったが、語学的にはこちらの方がより妥当すると言える。
 ソ連邦の「連邦」を表す「ソユーズ」という言葉の意味については上述した通りだが、それもまたソ連という国の連邦制度のあり方を物語っている。つまりソ連とは、アメリカ合衆国やドイツ連邦共和国のような連邦制単一国家ではなく、たとえばEUのような(それよりは結びつきが強いが)国家連合である、と言える。このため、1945年に国連が結成された際には、ソ連は当時ソ連を構成していた16の共和国すべてを国連の加盟国とするよう主張し、これに反対した米英との妥協の結果、ソ連、ウクライナ、ベラルーシが国連の原加盟国となった。

 ソ連は、上述のように、ロシア、ウクライナ、ベロルシア、ザカフカージエ(面倒なので正式国名は略)が合同して成立したものである。これら連邦構成共和国は、その後数は変わったものの、形式的には同権である。それぞれが最高ソヴィエト幹部会議長(国家元首)、閣僚会議議長(首相)を有している。一時期は独自の外相もいたが、基本的に国防と対外政策は連邦政府の担当となっていた。その意味では、通常の連邦国家と変わりはない。
 しかし連邦レベルでの国権がソ連共産党に握られていたように、形式と実態は連邦構成共和国レベルでも乖離している。連邦構成共和国レベルでも、たとえばウクライナであれば、ウクライナ共産党が実権を握っていた。ウクライナにおける最高指導者はウクライナの最高ソヴィエト幹部会議長でもウクライナの閣僚会議議長でもなく、ウクライナ共産党のボス(肩書きは基本的に第一書記)であった。
 これは、連邦レベル、連邦構成共和国レベルだけではなく、さらにくだって都市レベル、地区レベル、村落レベルでも同様である。いずれのレベルにもソヴィエトがあり、常設機関として執行委員会があったが、同時にどのレベルにも共産党の委員会が存在した。そしてソヴィエトの議長も執行委員会の議長も共産党の委員会に所属し、共産党の第一書記に従属していた。
 ウクライナにはウクライナ共産党があり、ベロルシアにはベロルシア共産党が、アルメニアにはアルメニア共産党が、カザフスターンにはカザフスターン共産党があった。そしてそれらはソ連共産党の下部組織であった。しかしロシアにはロシア共産党は存在しなかった。ソ連共産党の «直属» としてウクライナ共産党やカザフスターン共産党と並んで、モスクワ州委員会やスターヴロポリ地方委員会が存在していたのである。連邦制という国家体制の建前とは別に、共産党という権力の実質の部分では、ロシア以外の連邦構成共和国はすべてロシアに従属する体制になっていた、と言っていい。

シンボル

国歌

 『インターナショナル』(1922-44)。1917年のロシア革命後、レーニンの提案でソヴィエト・ロシアの国歌となっていた『インターナショナル』が、そのままソ連国歌として流用された。これはフランス語版をロシア語訳したもの(若干メロディのアレンジが違う)。

 『ソヴィエト連邦国歌』(1944-91)。1943年、ナチス・ドイツとの戦争遂行の必要上、『インターナショナル』を廃して新たに作成した。そのメロディが現在の『ロシア連邦国歌』に流用されている。しかし当然歌詞は異なる。

国旗

 赤旗。左上に、金の鎌と槌、それに五芒星が描かれる。縦横の比率は1:2。

ソ連国旗

紋章

 鎌と槌を中心に、稲穂、地球儀、旭日、五芒星、『万国の労働者、団結せよ!』と書かれた赤布をあしらったもの。

ソ連紋章

首都

 モスクワ。

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最終更新日 10 07 2011

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