ブィリーナの英雄たち

ブィリーナ былина とは、民衆のあいだで語り継がれていた口承の英雄叙事詩を指す。厳密には、この言葉自体は『イーゴリ軍記』から採られたものらしいが、上記のような意味では、19世紀になってつくられた造語と言うべきである。
 当の民衆自身がブィリーナと民話 сказка とを区別していたかどうかは知らないが(そもそもブィリーナという言葉自体が存在しなかったのだから)、少なくとも民話は架空のお話、ブィリーナは史実に基づいた物語と、分けて認識していたらしい。

 形式的には、民話はあくまでも語りであったが、ブィリーナはメロディを伴う。ブィリーナの発生や普及にはスコモローフと呼ばれる旅芸人(歌や語りを聞かせる)が一定の役割を果たしたようだが、ブィリーナの形式はそれと無関係ではなかろう。また民話が主に親が子に語り聞かせたものであるのに対して(イヴァン雷帝が盲目の老人から、レフ・トルストーイが農奴から民話を好んで聞いていたことは有名)、ブィリーナは民衆の集まる場で語られ(歌われ)、時には聴衆も語り手(歌い手)とともに口ずさむものであった。
 ブィリーナや民話は19世紀になって初めて文字化されたが、民話の場合は、どこの農奴でも知っているような民話を文字化することにそれ以前は意味が見出されなかったことが大きい。しかしブィリーナの場合は事情が若干異なり、そもそもその存在自体が知られていなかったのである。理由は明らかではないが、ブィリーナは現実においては北ロシア、しかもオネーガ湖畔や白海沿岸部にしか残っていなかった(ちなみにオネーガ湖畔は、フィンランドの英雄叙事詩『カレワラ』が語り継がれていた地でもある)。ほかにはごくわずかながら、シベリアとコサックに伝えられていただけで、それ以外の地には存在すらしていなかったのである。これらの地が、必ずしも中央権力に完全に従属していたわけではなく(特に17世紀以前)、しかも農奴化がほかの地域よりも進まなかったことが、あるいはブィリーナの内容面にも影響しているかとも考えられる。つまり、こんにちのようにブィリーナがロシア人の «民族的遺産» となったのは、19世紀半ば以降のことである。
 このような事情から、ブィリーナがそもそもいつ発生したかについては諸説があり、必ずしも学者間でも意見の一致が見られない。しかし最も一般的な見解としては、11世紀までにはその原型が誕生していたとされる。そして遅くとも «タタールのくびき» の時代(1240-1480)が終わる頃には確立していたと考えていいだろう。14世紀後半以降に覇権を握ったモスクワ大公が、ブィリーナの中にその片鱗すら覗かせない点からも、この考えが妥当だろうと思われる。

 ブィリーナは、その主人公の形象も含めて、大雑把に3つのタイプに分けることができるだろう。第1は歴史時代以前の神話的英雄たちを語るもの。この英雄たちは、動物に変身したり魔法を使ったりと超自然的な存在であり、キリスト教とも無縁である。ただし古いスラヴ神話の神々とも無縁だ。その意味では、これらのブィリーナは無神論的であると言える(英雄たち自身が神的存在であるが)。
 第2のタイプは、キエフ大公たるヴラディーミル太陽公に仕える英雄たちを語ったもので、分量的にはこれがブィリーナの主流と言える。これらは «キエフ・サイクル» とも呼ばれる。ここに登場する英雄たちは、いずれも人間であり、キリスト教徒であり、そしてヴラディーミル太陽公に仕える武人貴族である。
 最後に、«ノーヴゴロド・サイクル» と呼ばれる一連のブィリーナがある。時代的には «キエフ・サイクル» と同様に、もはや神話的時代が終わり、主人公たちは普通の人間であって、おそらくキエフにはキエフ大公が君臨している時代を描いているものと思われる。しかしノーヴゴロドは早くにキエフ大公の権力から自立し、独自の寡頭制的共和政体を確立していたため、ヴラディーミル太陽公とは無縁の民衆的英雄が主人公となっている。

 なお、ブィリーナに登場する英雄はボガトィリ богатырь と呼ばれる。

スヴャトゴール Святогор
途方もない巨人であり、大地もかれを支えることができない。そのためスヴャトゴールは山に無為に寝ているしかない(もっとも、馬に乗っていることもある)。そこにイリヤー・ムーロメツが現れるのである。
 スヴャトゴールは、明らかに歴史時代以前の神話的存在である。しかしスヴャトゴールがいつブィリーナに登場したかについては、歴史時代以前とする説のほかに、逆に16世紀以降とする説もある。スヴャトゴールに言及するブィリーナが地域的に極度に偏っているためである。
 単純に考えれば、スヴャトゴールという名はおそらく святой(聖なる)と гора(山)から来たもので、山のように巨大なボガトィリを意味したものであろう。しかしキリスト教導入以降とすれば、святой(聖なる)と Егор(ゲオルギオス)から来たとも考えられる。名前がどちらに由来するものであれ、スヴャトゴールには非キリスト教的要素が圧倒的に現れているが、しかし同時にキリスト教的要素も見られる。
 現実のブィリーナでは、スヴャトゴールを主人公としたものもないではない。しかし基本的には、スヴャトゴールはイリヤー・ムーロメツの «脇役» であり、義兄弟の契りを結んでイリヤー・ムーロメツの «兄» になるとはいえ、最後にはイリヤー・ムーロメツに力を分け与えて死んでいく。キリスト教的ボガトィリにより駆逐される異教的存在である。
ソロヴェイ=ラズボーイニク Соловей-разбойник
ロシア語でソロヴェイは «ナイチンゲール»、あるいはその種のツグミ科の鳥を意味する。他方 «ラズボーイニク» とは強盗、追剥などを意味する普通名詞である。中村喜和が «盗賊うぐいす丸» と訳したことがあるが、感覚的には «ソロヴェイ=ラズボーイニク» よりもこちらの方が相応しいかもしれない。
 ソロヴェイ=ラズボーイニクはキエフ・サイクルに属するボガトィリだが、その形象は神話的である。かれは人であり、かつその名のとおり鳥でもある。その武器は剣でも弓でもなく、«鳴き声» である。
 ソロヴェイ=ラズボーイニクは常にカシの木の上に座って(とまって)いて、キエフに向かう旅人を30年にわたって妨害し続けてきた。そこにイリヤー・ムーロメツがとおりかかり、その弓で目を射られてしまう。イリヤー・ムーロメツはソロヴェイ=ラズボーイニクの巣に赴き、その妻と子供たちを皆殺しにする。妻や子供たちもソロヴェイ=ラズボーイニクと同様に超自然的な存在であり、鳥に変身して空を飛ぶ。
 このように、同じく神話的な存在であるが、スヴャトゴールと異なり、ソロヴェイ=ラズボーイニクは基本的にイリヤー・ムーロメツの敵役を割り当てられている。しかし、あるいはソロヴェイ・ブディミーロヴィチとの混同がもたらしたものか、イリヤー・ムーロメツの仲間となっているバージョンもある。
 なお、他のボガトィリと異なり、ソロヴェイ=ラズボーイニクにはかれを主人公としたブィリーナが存在しない。かれは常にイリヤー・ムーロメツのブィリーナにおける脇役である。
ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチ Вольга Святославич/ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチ Волх Всеславьевич
ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチとヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチとは一般的に同一人物と考えられている。ただし同一のブィリーナの中でこのふたつの名前が置換されることはないので、あるいは厳密には両者を別と考えるべきかもしれない(そう主張する学者もいる)。
 ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチの誕生は(このエピソードがヴォリガー・スヴャトスラーヴィチの名で語られることはない)、神話的要素に満ちている。母マルファ・フセスラーヴィエヴナ公女が毒蛇を踏んで産んだのがヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチなのである。母が公女とされている点、父称がフセスラーヴィエヴナである点を踏まえて、実在のポーロツク公フセスラーフ・ブリャチスラーヴィチと関連づける説もあるが、このフセスラーフ・ブリャチスラーヴィチは『イーゴリ軍記』によれば «オーボロテニ» であった。
 ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチ(ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチ)がフセスラーフ・ブリャチスラーヴィチと関係があるにせよないにせよ、母が公女とされている点など、キエフ大公とのつながりは皆無ではない。時にはヴラディーミル太陽公が登場することもある。その活躍には、必ずかれに仕える従士団が登場する。にもかかわらず、ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチ/ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチは、イリヤー・ムーロメツなど «キエフ・サイクル» のボガトィリとは完全に別系統に属する。先ずかれは、ヴラディーミル太陽公に仕えている場面が描かれることはない(太陽公から領土をもらった等とされることはある)。そしてさらに、そのブィリーナにおける性格が、完全に神話的なものである点である。つまり、ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチ/ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチは、鷹や狼に変身し、魔法を使うことができる(つまりフセスラーフ・ブリャチスラーヴィチと同様、ヴォルフ/ヴォリガーもオーボロテニ兼魔法使いだったのである)。その意味でかれは、スヴャトゴールやソロヴェイ=ラズボーイニクと同じく歴史時代以前に属する存在である。ヴォルフという名前も、異教時代の古代ルーシの祭司を意味するヴォルフヴに由来するとも考えられている。
 ヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチ/ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチについての主なブィリーナはふたつ、インド遠征を語るものと、ミクーラ・セリャニーノヴィチとの対立についてのものである。
 インド遠征譚の遠征先は、時にはトルコであったりキプチャク・ハーン国であったりするが、モチーフは明らかにキプチャク・ハーン国である。インドのツァーリ(王)の名がどう考えてもタタール系というのがそのひとつの証左である。つまり、イメージ的には単に異教の豊かな強国という程度なのだろう。それがインドとなったのは、あるいは皇帝パーヴェル時代に実際におこなわれたインド遠征が影響したのかもしれないが、やはり «南方の豊かな異教国» というイメージが働いただけではないだろうか。このエピソードは基本的に桃太郎的な一獲千金の冒険譚という感じである。
ミクーラ・セリャニーノヴィチ Микула Селянинович
ミクーラはふたつのブィリーナに登場する。スヴャトゴールについてのブィリーナと、ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチについてのブィリーナである。
 ミクーラという名はニコライが民間で訛ったものであり、聖ニコラオスに由来すると考えられている。父称セリャニーノヴィチは селянин(農民)からつくられたものであり、ミクーラ・セリャニーノヴィチはつまりは農民のことである。
 このことは、ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチのブィリーナに登場するミクーラ・セリャニーノヴィチがよく表わしている。そこではミクーラ・セリャニーノヴィチは、ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチより賢く、力強く、そして心豊かである。これはつまり、ヴォリガー・スヴャトスラーヴィチが象徴する公や従士団に対する、ミクーラ・セリャニーノヴィチが象徴する農民の優位性を語っている。
 他方、スヴャトゴールのブィリーナに登場するミクーラ・セリャニーノヴィチは、明らかに農民ではなく、大地の化身である。これはおそらく農民の庇護者としての神格が基になっているのだろう。いずれにせよ、ここでもミクーラ・セリャニーノヴィチはスヴャトゴールに優越する存在として語られる。
イリヤー・ムーロメツ Илья Муромец
キエフ・サイクルの «主役»。ブィリーナで最も有名かつ愛されるボガトィリ。2008年にTV局『ロシア』が実施したロシア史上の偉人を選ぶコンテスト «イーミャ・ロシーヤ» では、予備選の結果堂々の23位。言うまでもなく、架空の人物で選ばれたのはイリヤー・ムーロメツただひとりである。
 イリヤーは旧約聖書のエリヤであるが、ロシアでは預言者エリヤはスラヴ神話の雷神ペルーンと結びつけられた。そのためイリヤー・ムーロメツについての語りにも、預言者エリヤだけでなく雷神ペルーンの特徴が顔を覗かせることがしばしばある。
 ムーロメツとは «ムーロムの人» という程度の意味。ムーロムはキエフ・ルーシ時代の古都で、その東方ウラル方面進出の拠点であった。ただしその現実はブィリーナでは無視されている。あるいはキエフ・ルーシ時代の古都であれば、ムーロムでなくとも良かったのかもしれない。実際、ムーロムがあたかもドニェプル河畔の都市のように描写しているブィリーナもある。
 イリヤーは、ムーロム近郊のカラチャーロヴォという村に生まれた。30になるまで手も足も動かせず、家にじっとしているしかなかった。ところがある日、3人の巡礼(あるいは乞食、あるいは単に老人)が訪れて、突然手足を動かせるようになった。このモチーフは比較的全世界に普遍的なものである。手足の動かせるようになったイリヤー・ムーロメツは、キエフに赴いてヴラディーミル太陽公に仕えることを決意。ここからがイリヤー・ムーロメツのブィリーナの本題となる。
 ここでイリヤー・ムーロメツについてのブィリーナを紹介する余裕もつもりもないが、スヴャトゴール、チェルニーゴフ解放戦、ソロヴェイ=ラズボーイニク、イードリシチェ・ポガーノエ、カリン=ツァーリ、«3つの旅» がよく知られるエピソードである。
 1643年、キエフ=ペチェルスカヤ修道院の修道士であったイリヤーが列聖された。俗名はチョボトークといったらしいが、ムーロム出身だったのでイリヤー・ムーロメツと呼ばれていたという。文献的には確認できないが、伝承によれば12世紀の人らしい。この聖者がイリヤー・ムーロメツのモデルであるとの説がある。1988年、ウクライナ保健省は聖者の遺物を発掘。それによれば身長は 177 cm(当時としては長身)。脊椎に病気の痕跡が見られ、無数の傷跡もあったらしい。死因は胸への鋭利な刃物(槍か剣)による傷。享年は40から55と見られる。ペチェルスカヤ修道院がポーロヴェツ人に破壊された1204年に死んだものと想像され、だとすると生年は1150年から1165年の間と推定されることになる。
 なお、«スムータ(動乱)の時代»(1605-13)にはイリヤー・ムーロメツを自称した者がいた(1607年に処刑された)。
ドブルィニャ・ニキーティチ Добрыня Никитич
イリヤー・ムーロメツ、アリョーシャ・ポポーヴィチと並ぶブィリーナの最重要人物。
 モデルは、ヴラディーミル偉大公の母方の叔父ドブルィニャ。ただし、年代記に登場するもうひとりのドブルィニャ、すなわちリャザニのドブルィニャをモデルと考える者もある(ブィリーナでも、ドブルィニャは通常リャザニ出身とされている)。いずれにせよ、公に仕える従士団を代表する象徴的存在である。キエフ・サイクルのボガトィリたちは、いずれもヴラディーミル太陽公に仕えているが、中でもドブルィニャ・ニキーティチは、太陽公の私的な命令(「花嫁を連れてこい」等)に従うなど、特に太陽公と親しい関係にあることが窺われる。ブィリーナによっては、ドブルィニャの父もボヤーリン(大貴族)であったとされるが、ドブルィニャは生まれながらに太陽公と同じ世界の人間であったということである。そのためロシア人にとってドブルィニャ・ニキーティチは、聡明で勇敢な諸公の重鎮といったイメージがある。
 ドブルィニャ・ニキーティチ独自のエピソードと言うと、プチャイ川における «ズメイ» との戦い、魔女マリンカ・イグナーティエヴナとの戦い、そして20年間の不在(その間の妻とアリョーシャ・ポポーヴィチの関係)などがある。
アリョーシャ・ポポーヴィチ Алеша Попович
イリヤー・ムーロメツ、ドブルィニャ・ニキーティチと並ぶブィリーナの最重要人物。ブィリーナの中ではロストーフの出身とされている(父親は司祭)。
 アリョーシャ・ポポーヴィチ独自のエピソードとして先ず挙げられるのは、トゥガリンとの戦いであろう。«怪物» と呼ばれることもあり、ズメーエヴィチ(«ズメイの子»)という父称が加えられることもある、このトゥガリンとの戦いは、多分に神話的要素を残している。
 イメージ的にはまだ若い伊達男。そのため若気の至りで過ちを犯すこともある人物と見られている。あるブィリーナでは、ドブルィニャ・ニキーティチの死の噂を流し、その妻ナスターシヤ・ニクーリシュナと結婚しようとする。失敗してドブルィニャ・ニキーティチに鞭で打ちすえられる様は、ボガトィリとしては少々情けない。
 年代記には、アレクサンドル・ポポーヴィチという人物が何度か登場する。ひとりはヴラディーミル偉大公に仕え、ペチェネーグ人と戦っている。もうひとりはスーズダリの出身で、フセーヴォロド大巣公、コンスタンティーン賢公、ムスティスラーフ老公に仕え、カルカー河畔の戦いで戦死した。
ヴラディーミル太陽公 Владимир Красное Солнышко
キエフ・サイクルのブィリーナにおいて最も重要な役割を担う登場人物。あらゆるボガトィリたちがヴラディーミル太陽公のもとに集ってきて、かれに仕えている。ヴラディーミル太陽公はかれらはボスであるが、かれ自身はいかなる意味でもボガトィリではない。
 ヴラディーミル太陽公はあくまでもブィリーナの要請により役割を与えられた存在であり、ゆえに大衆に共感せず、自身の利益を優先し、ボガトィリを歓待するのもあくまでもそのためであり、これを利用することをためらわず、かと言って自身の生命を危険にさらすことは望まない、といった非常に否定的な存在として描かれることが多い(もっとも性格は良い)。
 一般的にヴラディーミル太陽公はキエフ大公ヴラディーミル偉大公がモデルとされているが、実際には同じくキエフ大公のヴラディーミル・モノマーフも含め、様々なイメージが溶け合っているのだろう。何らかの自然的力の神話的な人格化と考えることも可能である。
 ブィリーナの中では、妃の名はおおむねアプラークサ/アプラークシヤとされる。
ミハイール・ポートィク Михаил Потык/Михаил Поток
ヴラディーミル太陽公に仕えるボガトィリのひとり。
 ある時白鳥を見かけるが、その白鳥は乙女 «白い白鳥のアヴドーティヤ» に姿を変え、ふたりは結婚した。この後はいくつかのエピソードが待ち構えているが、いずれも妻アヴドーティヤとツァーリ・コシチェーイがからんでいる。ひとつは、キプチャク・ハーン国の商人がアヴドーティヤを目にしてその美しさを褒め称えたため、ツァーリ・コシチェーイが彼女を得ようとキエフを攻囲する。もうひとつは、アヴドーティヤがミハイールを石に変えて、自らツァーリ・コシチェーイのもとに逃げる。キエフの攻囲は打ち破られ、石に変えられたミハイールも友人たちの助けを借りて元の姿に戻ることができる。アヴドーティヤがはからずも死んでしまうバージョンがある。ミハイールは妻の遺骸とともに墓に入り、そこに現れた «ズメイ» を倒して、その持っていた生命の水(ズメイの血の場合もある)の力でアヴドーティヤを蘇らせる。一方で、アヴドーティヤがミハイールを裏切るバージョンでは、ミハイールはツァーリ・コシチェーイを破り、アヴドーティヤを自らの手で殺す。
 民話にも登場する «不死身のコシチェーイ» がキプチャク・ハーン役で登場するのもおもしろいが、ミハイール・ポートィクはこのブィリーナだけで知られる、どちらかと言うとマイナーなボガトィリである。
ドゥナイ・イヴァーノヴィチ Дунай Иванович
ヴラディーミル太陽公に仕えるボガトィリのひとり。ドゥナイというのは現代ロシア語では «ドナウ川» という意味だが、古文献では広く川全般を指したらしい。同時に人名でもあったようだ。このような名を与えられたドゥナイ・イヴァーノヴィチは、ドナウ川の人格化とする説がある(添え名 «тихий» もこれを示すが、ドナウ川は古代ルーシとは縁もゆかりもない)が、川一般の人格化とする説もある。また、この河は現実の川ではなく天上の川であり、つまりドゥナイ・イヴァーノヴィチは雨雲の人格化だとする説もある。
 ドゥナイ・イヴァーノヴィチに関するブィリーナは、内容的にはふたつ。
 第1は、ドブルィニャ・ニキーティチとともにヴラディーミル太陽公の花嫁を求めてリトアニアに赴く話。これにはヴラディーミル偉大公がポーロツク公女ログネーダを奪った史実が反映されているとされるが、その当時はまだリトアニア人は国家を形成していなかった(そもそもこのブィリーナ中ではリトアニア人を «タタール人» と呼んでいる)。
 もうひとつは、ナスターシヤとの結婚とナスターシヤ殺しである。これは説話的で、新妻ナスターシヤに自慢の鼻をへし折られたドゥナイ・イヴァーノヴィチが怒りに任せてナスターシヤを殺し、その内臓を引きずり出すと腹の中には赤子がいた。ドゥナイ・イヴァーノヴィチは自ら命を絶ち、その頭からはドナウ川が、ナスターシヤの頭からはナスターシヤ川が流れだしたという。
スターヴル・ゴディーノヴィチ Ставр Годинович
年代記によれば1118年、キエフ大公ヴラディーミル・モノマーフがノーヴゴロドの商人スターヴルを投獄した。また、キエフの聖ソフィヤ大聖堂の壁には、12世紀の落書きが残っており、そこにスターヴル・ゴディーノヴィチの名があるという。
 スターヴル・ゴディーノヴィチが実在の人物であれ何であれ、«夫(や兄など家族)を救う女性» という万国共通の民話的モチーフがこのブィリーナには明瞭に見てとれる。つまりスターヴル・ゴディーノヴィチについてのブィリーナの主人公は、実はスターヴル・ゴディーノヴィチではなくその妻である。ただし、この妻の名が必ずしも一定しない。通常はヴァシリーサ・ニクーリチナとされることが多いようだ。
イードリシチェ・ポガーノエ Идолище поганое
語学的には、イードリシチェとはイードル(アイドル=偶像)の指大形。ポガーノエとは «邪教の» という程度の意味。すなわち、«邪教のバカでかい偶像» といった程度の意味である。
 イリヤー・ムーロメツがキエフを留守にした折に、キエフを征服。恐怖でもってこれを支配した。これを知ったイリヤーは取って返したが、イードリシチェはイリヤーを怖れていた。あるバージョンによれば、イードリシチェはイリヤーの手で殺されると知っていたためにイリヤーを怖れていたのだとされる。イリヤーは巡礼に変装してキエフに入り、それと知らぬイードリシチェはかれにイリヤーについて問い質した。そしてイードリシチェが驕り高ぶった時にイリヤーが正体を現し、イードリシチェを退治する。
 イードリシチェが征服し支配したのはツァーリの都市(コンスタンティノープル)とされることもある。
 頭はビールの窯のよう(«バカでかい» という意味)、両眼の間には灼熱の矢が走り、指先から爪先まで2メートル(それほど大きいとは思えないが、これで «大男» という表現)。
 描写は多分に神話的だが、しょせんは «邪教の怪物» というコンセプトで、スヴャトゴールやソロヴェイ=ラズボーイニクのような神話時代の存在ではない。なお、民話に登場することもある(その時は外国の巨人という程度)。

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最終更新日 10 09 2011

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