形式的な呼びかけ
たとえば辞書を引くと、Mr. に相当するロシア語として «ゴスポディーン господин» と載っている(より実際の発音に近い表記では «ガスパディーン»)。
これは間違いとは言えないが、現実には間違いみたいなもんだ。ロシア人は普通は «ゴスポディーン» など使わないからだ。
親しくもない相手に呼びかける時、あるいは多少は親しくとも形式的に呼びかける時(つまりは英語でなら Mr. を使うような場合)、ロシア人は、イーミャ+父称で呼びかける。
- ヴラディーミル・イリイーチ Влади́мир Ильи́ч
- ユーリイ・フョードロヴィチ Ю́рий Фёдорович
- エカテリーナ・アントーノヴナ Екатери́на Анто́новна
- ガリーナ・エヴゲーニエヴナ Гали́на Евге́ньевна
あえて言うなら、日本語の「◯◯◯さん」に相当する、と言っていいかもしれない。しかし日本人の場合、多少親しくなってもいつまでも「◯◯◯さん」と呼び続けるが、ロシア人はそれでは堅苦しすぎる。多少なりとも付き合いがあれば、次の段階に進むべきだろう。
ただし、特に年輩者には、親しくなってもいつまでもイーミャ+父称で呼びかけ続ける場合が多い。ここら辺は感覚の問題で、イーミャ+父称はただ単に疎遠な関係を示すだけでなく、悪く言えば堅苦しさをも示す。だから、普段は以下で説明するような親しみを込めた形で呼んでいる場合でも、公的な場ではイーミャ+父称を使うということもある。特に年輩者の場合は、以下で説明するような形での呼びかけは「馴れ馴れしい」と感じられるのかもしれない。年輩者の中には、夫婦の間でイーミャ+父称を使う人もいる(特に人前で)。
また、年下の人間が年上の人、特に年輩者に呼びかける場合は、親しくなってもイーミャ+父称のままの方がふさわしい(礼儀正しい)。
ロシア文学の翻訳でこれをこのまま訳している場合が多い(翻訳する人のポリシーにもよるのだろうが)。たとえば «Родион Романыч» をそのまま「ロディオーン・ロマーヌィチ」という具合だ。
しかしこれって、登場人物の名前を覚えづらくしているだけの気もする。「ラスコーリニコフくん」とでも訳した方がいいのに。
ちなみに、父称を持たない人(つまりは外国人)に対しては、さすがにロシア人も «ゴスポディーン» を使うしかない。
逆に、わたしたちがロシア人に対して «ゴスポディーン» を使って呼びかけてもいいだろう。
多少なりとも親しくなれば
ロシア語の二人称代名詞(話し相手を指す言葉)は、単数が «トィ ты (君、お前、あんた、あなた)»、複数が «ヴィ вы (君ら、お前ら、あんたたち、あなた方)» である。フランス語・ドイツ語をはじめ、英語以外のほとんどのヨーロッパ系言語では、二人称複数を単数相手に使うことで丁寧・敬意を表す(つまりは «あなた»)。ロシア語も同様である。
«トィ» を使う相手というのはごく親しい間柄ということになる(あるいは目下か)。若い人は初対面でも使うが、いずれにせよこの段階で、上述のようなイーミャ+父称という呼び方は不自然だ。
しかし «ヴィ» を使う相手であっても、親しみの度合いによってはイーミャ+父称では堅苦しすぎてやはり不自然と感じられる場合が多々ある。
このようなレベルでは、こんにち一般的なのはおそらくイーミャだけで呼ぶやり方だろう。要するに «呼び捨て» だ。
«トィ» で呼ぶ相手(友人・家族や目下)ならともかく、まだ «ヴィ» で呼んでいる相手(目上やあまり親しくない人)に対して呼び捨てをするというのは、日本人の感覚からするとかなり無礼な感じだが、ロシア人にとってはむしろいつまでもイーミャ+父称で呼ばれていると「いつまでたっても打ち解けてくれない」と感じられる。
なお、上述のように、年輩者は逆にいつまで経ってもイーミャ+父称にこだわる場合が多い(その場合当然いつまでも «ヴィ» を使い続ける)。
他方で、特に中年(若年層でも高齢者でもない年齢層の人)には、初対面からいきなりイーミャの呼び捨てという例が多い。しかも親しくなっても愛称形に移行せず、呼び捨てのままだったりする。
親しみをこめた呼びかけ
さらに仲良くなれば、いわゆる愛称で呼ぶのがいいだろう。ロシア人のイーミャには決まった愛称形があるので、それを使えばいいわけだ。
ただし、愛称形が決まっている、と言っても、その愛称形も複数あるのが普通だ。となると、その中のどれを使うべきか、という問題がある。
このレベルまで親しくなれば、第三者が相手をどう呼んでいるかもわかっているはず。同じように呼ぶのが無難だろう。
また、特定の人だけが使う呼び方、というのがあってもおかしくない。まわりの人間がみな «シューラ» と呼んでいるのに、わたしだけ «サーニャ» と呼んでも、別に問題はない。本人が気にするようなら、文句を言ってくるはずだ。
なお、特に若い人(や幼い人)の場合は、初対面でいきなり愛称形を使う。つまりイーミャ+父称、イーミャ、イーミャの愛称形というのは親疎の度合を示すだけでなく、堅苦しい形式的な礼儀正しさか肩肘張らない打ち解けた態度かを示すものでもあるからだ。
それだけに、ある程度年齢のいった人たちはあまり(特に人前で)愛称形を使わないことが多いように思われる。
愛称形の中には、単にイーミャを省略しただけで特段のニュアンスを持たないものもあれば、少々特殊なニュアンスを持つものもある。とあるロシア語の教科書に載っていたテキストに、「もうガキじゃないんだからサーシェニカとは呼ばないで。サーシャと呼んで」という6歳のガキのセリフがあった。どちらもアレクサンドルという男性名の愛称形だが、サーシャは単純な省略形であるのに対して、サーシェニカは «指小形» と呼ばれる、特殊なニュアンスを持つ形である。このような特殊なニュアンスを持った形は、上掲のテキストのように、ある程度の年齢になると使われるのを嫌う人がいる。
まとめ
以上、3つの呼びかけ方を見てきたが、これらは親疎の区別と同時に、年代による区別もある。
呼びかけ方 | 人間関係 | ニュアンス | 年齢層 |
---|---|---|---|
イーミャ+父称 | 疎遠な関係 | フォーマル・公的 | 年輩 |
イーミャ | 親密な関係 | カジュアル・私的 | 中年 |
イーミャの省略形 | プライベート | 若者 |
これらの要素を踏まえ、個々の状況に応じて呼びかけ方が決まってくる。
とはいえ、どの呼び方をすべきか、現実問題としてはあまり頭を悩ませる必要はない。自己紹介の時、あるいは第三者に紹介してもらった時に耳にした呼び方をすれば問題ない。特に自己紹介の際にどう名乗るかは重要で、ロシア人の名乗りはフルネームを紹介することを目的としているのではなく、どう呼んで欲しいかを示しているのである。
もちろん、以下の点には留意すべきだろう。つまり、AがBを「ペーテャ」と呼んでいるのに、あなたにBを紹介する時には「ピョートル・アレクセーエヴィチ」と紹介したとする。その場合、あなたは「ペーテャ」ではなく「ピョートル・アレクセーエヴィチ」と呼びかけるべきだ。なぜなら「ペーテャ」とはAとBとの間のプライベートな関係で使われる呼び方であり、Aがあなたに「ピョートル・アレクセーエヴィチ」と紹介したということは、あなたは「ペーテャ」ではなく「ピョートル・アレクセーエヴィチ」と呼ぶべきだ、ということを示しているからである。
ちなみにロシア人は、もうすでにお互いに相手の名前がわかっていて、しかもある程度会話を交わしていたとしても、どこかの段階で改めて名前を名乗って自己紹介をする。一種のケジメみたいなもので、これがあって初めて赤の他人が知人に変わる。つまり、これをやらないといつまでも行きずりの赤の他人のままということになる。
そしてこの時に名乗るべきは、本名でもフルネームでもなく、相手に呼んで欲しい呼び方である。ロシア人は、こちらが名乗ったとおりに呼びかけてくることになる。
特殊な呼び方
父称だけで呼ぶ、という呼び方もあるらしい。わたし自身は耳にしたことはないが、ニュアンス的にはイーミャ+父称とイーミャだけの呼び捨てとの中間に位置するようである。ただし具体的にどういう人が、どういう場面で使うのかについて、わたしが質問したロシア人同士の意見が割れて、よくわからなかった。つまり、主に田舎で使われる呼びかけ方、モスクワでも普通に耳にする呼びかけ方、年輩者に多い呼びかけ方、年長者が年少者に対して使う呼びかけ方、等々。
姓だけで呼ぶのは、たとえば学校や軍など、特殊な環境に、特に公的なシーンに限られる。
たとえば冒頭の «ゴスポディーン» や、あるいは肩書きを付けて姓を呼ぶ場合も同様である。たとえばプーティン大統領を新聞記者が呼ぶ場合、普通は「ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ」とイーミャ+父称で呼びかける。しかし記者会見の席上などでは「プレジデント・プーティン」と呼ぶことが一般的だ。
つまり、イーミャ+父称は礼儀正しい、悪く言えば形式的な呼び方だが、姓で呼ぶというのはそれ以上に形式的な呼び方だということである。
イーミャ+父称+姓のすべてで呼ぶのは、たとえば呼び出しの時や教師が生徒を叱る時など、ごくごく限られた状況でしかない。ただしこの場合、順番はイーミャ+父称+姓ではなく、姓+イーミャ+父称。
余談ながら、ロシアでは姓名の書き方は姓+イーミャ+父称の順番。