Д09:EはAを持っている
所有を表す表現は、日本語では、「わたしは車を持っている」、あるいは「わたしには車がある」が一般的なものだろう。
英語では、"I have a car." である。これは直訳すれば、日本語の「わたしは車を持っている」に相当する。
ロシア語では、「わたしは車を持っている」という言い方は基本的にしない。「わたしには車がある」と言う。
日本語 | わたしは車を持っている。 | わたしには車がある。 |
英語 | I have a car. | ― |
ロシア語 | ― | У меня́ е́сть маши́на. |
理屈から入るが、「わたしには車がある」から「わたしには」を除くと、「車がある」が残る。これはつまり、これまで見てきた「Aがある・いる」という言い方だ。この場合、「わたしには」が場所を表している、と考えることができる。
つまりロシア語では、「わたしは車を持っている」=「わたしには車がある」という言い方は、「AはEにある・いる」の応用表現なのである。
#95 「EはAを持っている」は「AはEにある・いる」と同じ言い方。
- На у́лице е́сть маши́на. 「通りには車がある」
- У меня́ е́сть маши́на. 「わたしには車がある」=「わたしは車を持っている」
これを図解してみると、次のようになる。
На у́лице 通りには | е́сть ある | маши́на 車が |
У меня́ わたしには | е́сть ある | маши́на 車が |
このように、場所を表す語句 на улице を、所有者を表す語句 у меня と差し替えてやるだけで、「〜を持っている」という言い方になるのだ。
у という前置詞は、すでに見たように、生格と結びついて「〜のそばで・〜のところで」を意味する。ところが、その使い方がいささか幅広い。これは у という前置詞の用法の問題なので、ここでは突っ込まないが、いずれにせよ、その幅広い用法のひとつが、このような「所有者を表す」というものなのである。
ということで、受験英語風に言うと、
EはAを持っている = у E(生格) есть A(主格)
#96 「誰が」持っているかを示す前置詞は у。
文法的には、主語はAである。だから過去時制や未来時制で есть の代わりに быть を用いる場合は、быть の変化はAに応じたものになる。
- У ва́с е́сть слова́рь? 「あなたは辞書をお持ちですか?」
- У Ива́на е́сть друзья́ в Япо́нии. 「イヴァンには日本に友人が(何人も)いる」
- У моего́ бра́та была́ ко́шка. 「兄/弟はネコを(一匹)飼っていた」
- Ско́ро у на́с бу́дут экза́мены. 「もうすぐ(複数の)試験だ」
- У меня́ вопро́с. 「質問が(ひとつ)あります」
- ついでなので言うと、これに к вам 「あなたに」を付け加えることが多い。 ⇒ У меня́ к ва́м вопро́с.
- У неё на́смарк. 「彼女は鼻かぜを引いている」
- У Ка́ти высо́кий го́лос. 「カーテャは高い声をしている」
- У него́ бы́ли си́ние глаза́. 「かれは青い目をしていた」
- У де́душки ещё е́сть во́лос. 「お爺ちゃんにはまだ髪の毛が(一本)ある」
- У сло́на но́с дли́нный. 「ゾウは鼻が長い」
- ゾウの鼻は、厳密には хо́бот という。たぶん解剖学? 生物学? の用語。とはいえ、ゾウの鼻を指す言葉としては нос より一般的かもしれない。
- У тебя́ е́сть интере́сные кни́ги? 「面白い本持ってる?」
слова́рь(男性名詞)辞書
экза́мен(男性名詞)試験
друзья́ ⇐ дру́г(男性名詞)親友
на́смарк(男性名詞)鼻かぜ・鼻炎
日本語訳を見てもらえばわかると思うが、この表現は、単純に日本語の「EはAを持っている」、「EにはAがある」に相当するわけではなく、もっと幅広い日本語に対応している。
5. と 6. では есть が省略されている。「質問があります」の場合、何か言いたいことがあるから声をかけているので、それがお願いなのか質問なのか、あるいは批判なのか意見なのかが問題なのであるから、別に есть はなくてもいいのだ(あってもいい)。同様に、「彼女は鼻かぜを引いている」にしても、彼女が具合が悪いのは見ればわかることで、それが何なのかを問題としている場合には есть はいらない(あってもいい)。もちろん、言うまでもないが、過去時制・未来時制では быть の過去形・未来形が挿入される。
7. でも есть が省略されているが、理由は微妙に異なる。つまり、人間に声があるのは当たり前だ。なので、このように、人の身体的特徴を言う場合には、現在時制で есть が省略されるのが普通である。「高い」といった修飾語(形容詞)が、この文のポイントということになる。
8. は過去時制だから были が挿入されているが、現在時制であれば、これまた 7. と同じで есть が省略されるのが普通である。
9. は、7. と同様に人の身体的特徴を言う文であるにもかかわらず、есть がある。理由は明らかで、「まだ髪の毛が残っている」ということが言いたい文だからだ。だから「髪の毛」を修飾する形容詞が存在しない。
10. も 7. と同様の文だが、こちらでは名詞と形容詞の順番が入れ替わっている。これは日本語でも十分にニュアンスが伝わると思うが、「声」と「高い」、あるいは「目」と「青い」、どちらをより重視しているか、という話である。«У слона длинный нос.» という語順であれば、「ゾウは長い鼻をしている」でもいい。しかし длинный が文末に置かれることで、こちらを強調する文になっているのである。ゆえに、«У него глаза синие.» という語順にすれば、「かれは青い目をしている」というより「かれは目が青い」、「かれの目は青い」というニュアンスになろう。
最後に 11. だが、形容詞があるにもかかわらず есть が挿入されている。「君の持っている本が面白いかどうか」を問題としているならば есть を省略してもいい。しかしここで問題なのは「面白い本か否か」と同時に、そういう本を「持っているか否か」である。「面白い」と「持っている」が、どちらも重要な文なのだ。よって、形容詞があるにもかかわらず есть は省略されない。
なお、最後に確認しておくが、
- 「EはAを持っている」が常に у+生格を使うとは限らない。
- у+生格が常に「EはAを持っている」を意味するとは限らない。
1. に関して言うと、「у E(生格) есть A(主格)」というロシア語が日本語の「EはAを持っている」よりも幅広い表現に対応しており、さらにこれがそもそも「AはEにある・いる」の応用表現であるから、当然のことである。「Eは」、つまり「Eに」が具体的にどのような状況を表しているのか、に応じて、у+生格を用いるか、それとも別の表現(場所を表す表現)を用いるかを考えなければならない。
2. について言うと、これは у という前置詞の用法の問題である。у という前置詞には様々な用法があるから、それらを身につけていかなければならない。
#97 必ずしも「所有者を示す表現=у+生格」、「у+生格=所有者を示す表現」とは限らない。
とはいえ、この辺りになってくると中級以上のレベルであろうから、追々学んでいこう。