В10:名詞の複数形
ここまでは、すべて単数の話であった。次に複数を学ぼう。
日本語の名詞には、数という文法概念がない。
あそこに学生が集まっている。
と言えば、この場合の「学生」は複数である。それは文意から明らかである。ところが
あそこに学生がいる。
の場合、いる「学生」はひとりだろうか。ふたり以上、つまり複数だろうか。
このように、日本語には常に数的な曖昧さがつきまとっている。なので強いて複数であることを明らかにしたい場合には、たとえば「木々」や「山々」のように繰り返すか、「我ら」や「君たち」のように助詞を付加するか、そんな形でしか複数であることを示すことができない。
これに対して、ヨーロッパの言語では(少なくともその多くにおいて)、名詞は常に単数形か複数形かで示される。語尾の形が違うので、見た目で、また耳で聞いて、「学生」がひとりなのか複数なのか、一発で区別できる。逆に言うと、常に単数なのか複数なのか区別しなければならない、ということだ。
すなわち、「あそこに学生がいる」という数的に曖昧な日本語は、英語では
- There is a student. (単数)
- There are students. (複数)
のどちらかで言うしかない。ひとりなのか複数なのか、常に明確にしなければならないのである。
これはロシア語でも同じことだ。
ということで、これまで見てきたロシア語はすべて単数についての文だった、ということになる。
#17 ロシア語は単数と複数の区別にうるさい。
問題は、ロシア語では、名詞の複数形というのがいささか厄介だ、という点である。
名詞の複数形
どんな言語でも、単数形が基本で、複数形はそれを語尾変化させてつくる。ところがロシア語では、どのように語尾変化させるか、性によって異なるのだ。
#18 名詞の複数形は、性によって語尾が異なる。
単数 | 複数 | ||
---|---|---|---|
男性名詞 | 硬変化 | 子音字 | + -ы |
軟変化 | -й/-ь | -и | |
女性名詞 | 硬変化 | -а | -ы |
軟変化 | -я/-ь | -и | |
中性名詞 | 硬変化 | -о | -а |
軟変化 | -е | -я |
ちなみに、厳密に言うとこの区別は男性名詞、女性名詞、中性名詞の区別ではない。語尾の文字による区別である。すでに述べたように、а や я で終わる男性名詞も存在する。それらはあくまでも形に従って複数形をつくる。とはいえ、面倒なのでこういう言い方をしておく。
ひとつひとつ、具体例を挙げて見ていこう。
子音字で終わる名詞は、その後に -ы をつける。ただし正書法の事情により、ж,ч,ш,щ,г,к,х の後では -и になる。
- студе́нт ⇒ студе́нты 学生(男子)
- теа́тр ⇒ теа́тры 劇場
- но́с ⇒ носы́* 鼻
- ме́сяц ⇒ ме́сяцы 月(暦の)
- вра́г ⇒ враги́* 敵
- игро́к ⇒ игроки́* プレイヤー
- сти́х 詩の一行 ⇒ стихи́ 詩
- эта́ж ⇒ этажи́* 階
- клю́ч ⇒ ключи́ キー
- каранда́ш ⇒ карандаши́ 鉛筆
- това́рищ ⇒ това́рищи 同志
* をつけた単語は、複数形の発音が、単数形の発音と明確に異なるもの。もちろん語尾の違いは無視。
第一は、アクセントの移動にともなう母音の発音の違い。たとえば но́с はそのまま読めばいいが、これが複数形 носы́ になると、アクセントの位置が変化語尾に移動するため、о がアクセントのない音、すなわち [ə] に変化する。
もうひとつは、語尾に母音が加わることによる有声子音と無声子音の違い。вра́г の語末の г は有声子音だが、語末にあるので無声化して /к/ と発音される。ところが複数形 враги́ になると語末に -и という母音が加えられたため、もはや г は語末ではなくなる。語末でなければ、г は /г/ と(有声子音として)発音される。
多くの日本人が、このような語形変化にともなう発音の変化に対応できていない。単数形で「ノース」と発音していたら、複数形でも「ノスィー」と発音してしまう。単数形で「ヴラーク」だから、複数形でも「ヴラキー」だと何も考えずに発音してしまう。前者は通じないでもないが、後者はおそらく通じない。正確には、「ナスィー」と「ヴラギー」である。
以下、このページについては、単数形と複数形で発音が大きく変わる単語については * を付加する。
子音は子音でも -й で終わる名詞、および -ь で終わる名詞は、-й あるいは -ь に替えて -и にする。
- слу́чай ⇒ слу́чаи ハプニング・ケース・チャンス
- музе́й ⇒ музе́и 美術館・博物館
- до́ждь ⇒ дожди́* 雨(男性名詞) ※単数形の発音は /до́щ/、複数形の発音は /даж'ж'и́/。どちらもかなり特異な発音。
- роди́тель ⇒ роди́тели 片親(男性名詞)(複数形で両親)
- но́чь ⇒ но́чи 夜(女性名詞)
- пло́щадь ⇒ пло́щади* 広場(女性名詞)
-а で終わる名詞はそれに替えて -ы、-я で終わる名詞はそれに替えて -и にする。ただし正書法の事情により、-а で終わる名詞が -и になることがある(ж,ч,ш,щ,г,к,х)。
- мужчи́на ⇒ мужчи́ны 男(男性名詞) ※発音は /мущи́на/、/мущи́ны/。
- страна́ ⇒ стра́ны 国
- столи́ца ⇒ столи́цы 首都
- гора́ ⇒ го́ры* 山
- голова́ ⇒ го́ловы* 頭
- пе́сня ⇒ пе́сни 歌
- неде́ля ⇒ неде́ли 週
- иде́я ⇒ иде́и 思想
- река́ ⇒ ре́ки 川
- рука́ ⇒ ру́ки 手・腕
- нога́ ⇒ но́ги* 足・脚
- ко́жа ⇒ ко́жи 皮膚
-о で終わる名詞はそれに替えて -а、-е/-ё で終わる名詞はそれに替えて -я にする。ただし正書法の事情により、-е/-ё で終わる名詞が -а になることがある(ж,ч,ш,щ,г,к,х,ц)。
- по́ле ⇒ поля́* 原・フィールド
- мо́ре ⇒ моря́* 海
- воскресе́нье ⇒ воскресе́нья 日曜日
- лицо́ ⇒ ли́ца 顔
- ле́то ⇒ ле́та 夏 ※単数形と複数形で発音は同じ。
- се́рдце ⇒ сердца́ 心・心臓(つまりは英語の heart)
このように、ロシア語の名詞の複数形は、英語のように単純ではないものの、それでも単数形に比べるとすっきりしている。つまり、-ы/-и か -а/-я で終わる。
この区別は、厳密には上述のように「単数形が子音で終わるもの、-а/-я で終わるものは複数形では -ы/-и、単数形が -а/-я で終わるものは複数形では -ы/-и になる」と言うべきだが、面倒なので、「男性名詞と女性名詞は -ы/-и、中性名詞は -ы/-и になる」と言っておく。
硬変化 | 軟変化 | |
---|---|---|
男性名詞 | -ы | -и |
女性名詞 | ||
中性名詞 | -а | -я |
問題は、見てわかるように、アクセントの位置が単数と複数とで異なる場合が少なくない、という点である。
- 複数形でアクセント位置が移動するのはどのような名詞か
- どの場所にアクセントが移動するか
これについては、規則は存在しない。厳密に言うとまったくないわけではないが、( 1 ) 煩雑だし、( 2 ) 絶対でもないので、ここでは次のような傾向性を指摘するにとどめる。
- 複数形でアクセント位置が移動するのはどのような名詞か
- 音節数の少ない名詞
- 日常的に使われる名詞
- どの場所にアクセントが移動するか
- 最初の音節へ、あるいは
- 変化語尾へ
もうひとつの問題は、少なからぬ名詞が不規則変化をする、という点である。
#19 よく使う名詞ほどアクセントが移動したり、不規則変化をしたりする。