聖コンスタンティーン・フョードロヴィチ «ウレーメツ»
Св. Константин Федорович "Улемец"
生:?
没:1321以前
父:ヤロスラーヴリ公フョードル・ロスティスラーヴィチ・チョールヌィー (スモレンスク公ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチ)
母:アンナ (メング・テミール〔チンギス・ハーンの曾孫〕)
結婚:?
子:?
第14世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。
詳細不詳。両親の結婚が1270年代ではないかと思われるので、コンスタンティーン・フョードロヴィチの生年もその頃だろう。
父の死後、兄ダヴィド・フョードロヴィチと共同でヤロスラーヴリを統治したとも言われるが、はっきりしない。その公としての功績は皆無に等しいし、特段の逸話も残っていない。と言うより、そもそも情報が完全に欠如している。
1321年に兄が死んだが、おそらくこの時点ではコンスタンティーン・フョードロヴィチも死んでいたものと思われる。ヤロスラーヴリ公位は甥のヴァシーリイ雷眼公が継いでいるからである。
なぜか正教会からは聖者として扱われているが、おそらく父のおまけだろう(父も正教会から列聖されている)。
添え名の «ウレーメツ» はイスラームの「ウレマ」(神学・法学上の問題を決定する指導者)から。