キリール・ドミートリエヴィチ・クールブスキイ
Kaspar Kurbski, Кашпер(Кирилл) Дмитрьевич Курбский
公 князь
生:?
没:?
父:ドミートリイ・アンドレーエヴィチ・クールブスキイ公 (アンドレイ・ミハイロヴィチ・クールブスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
ヤーコフ | |||
アレクサンドル |
第24世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。ポーランド貴族。
露波戦争(1654-67)に従軍。しかし1656年、ヴェリーキエ・ルーキ近郊で捕虜となり、ツァーリに仕えるようになる。正教に改宗し、キリールの洗礼名をもらう。1667年、アンドルーソヴォ条約で、領土がロシア領となると、以後そこに引退。