イヴァン・ダニイーロヴィチ・ペンコーフ «ホミャーク»
Иван Даниилович Пенков (Пеньков) "Хомяк"
ボヤーリン боярин (1524-)
生:?
没:1544
父:ダニイール・アレクサンドロヴィチ・ペンコー (ヤロスラーヴリ公アレクサンドル太鼓腹公)
母:?
結婚:
& マリーヤ (ヴァシーリイ・リヴォーヴィチ・グリンスキイ=スレポーイ)
子:なし
第20世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
兄と同様1510年代から各地の軍事行動に顔を見せるようになる。
1528年、モスクワ大公妃エレーナ・グリンスカヤの妹マリーヤ・ヴァシーリエヴナと結婚。エレーナ・グリンスカヤの親族として、宮廷内に影響力を持つようになる。
1531年、プスコーフ総督。
1533年、モスクワ大公ヴァシーリイ3世が死去。幼帝イヴァン雷帝の摂政となったエレーナ・グリンスカヤの側近のひとりに、イヴァン・ダニイーロヴィチも数えられていた。
コロームナ、カシーラ等の総督を歴任し、リトアニアやカザン・ハーン国との戦いに従事した。
添え名の «ホミャーク» は「ヨーロッパハムスター」のこと。転じて「ぐず、のろま」という意味もあったらしい。