ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

イヴァン・フョードロヴィチ

Иван Федорович

プローゾロフ公 князь Прозоровский

生:?
没:?

父:モローガ公フョードル・ミハイロヴィチモローガ公ミハイール・ダヴィドヴィチ
母:?

結婚:?

子:

生没年
母親不詳
1ユーリー
2アンドレイ

第17世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。

 1408年に父が死去。イヴァン・フョードロヴィチは、ヤロスラーヴリ県モローガ郡プローゾロフ(プローゾロヴォ)村を分領としてもらう。
 ちなみに、アクセントの位置はお尻に置かれる場合もある(プロゾローフ/プロゾローヴォ)。これに伴い、称号・家名の方もプローゾロフスキイではなくプロゾローフスキイとされる場合がある。どちらが正しいのか、あるいはどちらも通用したのか、よくわからない。

 モスクワ大公イヴァン3世大帝に仕え、1492年のスモレンスク遠征では第2司令官を務める。
 1495年には大公女エレーナ・イヴァーノヴナにつき従いヴィリニュスへ。リトアニア大公アレクサンドラスとの婚礼に参列した。
 さらに16世紀に入ってもリトアニアとの戦闘に従軍している。

 ただし、息子アンドレイ・イヴァーノヴィチが1508年に、リトアニア大公アレクサンドラスを見限ってモスクワ大公ヴァシーリイ3世に鞍替えした、ともされる。分領の位置からして、この一族がリトアニアに仕えていたとはあまり考えられないのだが。

 さて、以上から勘案すると、フョードル・ミハイロヴィチの死が1408年とされている以上、イヴァン・フョードロヴィチがフョードル・ミハイロヴィチの子であるとは考えづらい。どこかに伝記上の誤りがあるようだ。

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最終更新日 07 03 2013

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