フョードル・セミョーノヴィチ «チョールヌィイ»
Федор Семенович "Черный"
クールバ公 князь Курбский
生:?
没:1483
父:クールバ公セミョーン・イヴァーノヴィチ (ヤロスラーヴリ公イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・ボリショーイ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
ミハイール | -1506 | ||
ロマーン | -1505 | ||
セミョーン | -1528 |
第19世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
モスクワ大公イヴァン3世大帝に仕える。
1482年、イヴァン大帝によりニージュニイ・ノーヴゴロドに派遣され、総督としてカザン・ハーン・アリ=ハーンからこれを守る。
1483年、イヴァン大帝により、イヴァン・イヴァーノヴィチ・サルティク=トラーヴィン(スモレンスク系リューリコヴィチ)とともに西シベリアに派遣される。モスクワ領であったペルミに来襲するヴォグール(マンシ)人への遠征である。コミ人とも協力して遥かオビ河、イルトィシュ河(オビ河の支流)にまで到達し、ヴォグール人、ユーグラ(ハントィ・マンシ)人を撃破。ヴォグール人の首長モルダンを捕虜とする。この結果、1484年にはヴォグール人やユーグラ人の首長がモスクワを訪れ、貢納を約束した。