アレクサンドル・フョードロヴィチ «アリョーンカ»
Александр Федорович "Аленка"
公 князь
生:?
没:?
父:フョードル・ロマーノヴィチ公 (ロマーン・イヴァーノヴィチ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
アンドレイ | |||
フョードル |
第20世代。モノマーシチ(ヤロスラーヴリ系)。モスクワ大公の勤務公。
1490年代から各地の総督・軍司令官として名が見える。
1509年、ドロゴブージュ(スモレンスク公領)に派遣される。これを攻略し、その総督に任じられた。
この時期のモスクワの対外政策の主軸は西のリトアニアと東のカザン、南のクリムであり、アレクサンドル・フョードロヴィチも主にリトアニアとカザンとの戦いに終始駆り出されていた。