ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ
Василий Константинович
ガーリチ=メールスキイ公 князь Галицкий (1280-1310)
生:?
没:1310
父:ガーリチ=メールスキイ公コンスタンティーン・ヤロスラーヴィチ (ヴラディーミル大公ヤロスラーフ・フセヴォローディチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳 | |||
フョードル |
第12世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。
父の生年は1230年頃。おそらくヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチは1250年頃に生まれたのではないか。つまり、1255年に父が死んだ時点では、ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチは(兄ダヴィドも)まだ幼かったものと考えられる。そのためだろう、父の遺領は兄が一括して相続したとされている。
1280年に兄が死に、ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチが分領を相続した。通常ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチの肩書きはガーリチ=メールスキイ公だけであるが、おそらくドミートロフも領有したものと想像される。
あるいはドミートロフは、兄の遺児らが相続したのだろうか(まだ生まれたばかり)。ガーリチ=メールスキイはヴラディーミル大公領の北東のはずれ。ドミートロフはモスクワ北隣で、ヴラディーミル大公領の南部にあたり、両都市の間にはペレヤスラーヴリ、ロストーフ、ヤロスラーヴリ、コストロマーなどがある。両者をひとりが支配するのはかなり無理があり、叔父と甥とで分割した可能性も高い。