ミハイール・イヴァーノヴィチ
Михаил Иванович
スタロドゥーブ公 князь Стародубский (1247-81)
生:?
没:1281
父:スタロドゥーブ公イヴァン・フセヴォローディチ (ヴラディーミル大公フセーヴォロド大巣公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | イヴァン | -1315 | スタロドゥーブ |
第11世代。モノマーシチ(ヴラディーミル系)。
生年は不明だが、父の生年が1197/98年なので、1220年代ででもあったろうか。
父の没年は不明だが、おそらく父の死でスタロドゥーブを相続したものと思われる。
1277年、従兄弟のヴァシーリイ・ミジンヌィイの葬儀に参列している。
1281年、ヴラディーミル大公ドミートリイ・アレクサンドロヴィチに対して、その弟のゴロデーツ公アンドレイ・アレクサンドロヴィチがキプチャク・ハーンの同意を得て叛乱を興すと、ミハイール・イヴァーノヴィチもこれに合流した。
年代記によって、没年は1281年と1315年との2説があるが、一般に1315年は息子イヴァン・カリストラートの没年と考えられている。