ミハイール・ヴァシーリエヴィチ
Михаил Васильевич
カーシン公 князь Кашинский (1362-73)
生:1331
没:1373
父:カーシン公ヴァシーリイ・ミハイロヴィチ (トヴェーリ大公ミハイール・ヤロスラーヴィチ)
母:エレーナ (イヴァン〔ブリャンスク公ヴァシーリイ・アレクサンドロヴィチ?〕)
結婚:1349
& ヴァシリーサ公女 (モスクワ公セミョーン傲慢公)
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
ヴァシリーサ・セミョーノヴナと | |||
1 | ヴァシーリイ | -1382 | カーシン |
第14世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチとの長幼の順がよくわからない。種々の文献にはカーシン公位はヴァシーリイからミハイールへと継承されたと記されているが、他方でヴァシーリイの生年が1336年とされるのに対してミハイールの生年は1331年とされている。弟から兄へと公位が継承されたということだろうか。
父はモスクワの支援を受けて、従兄弟のフセーヴォロド & ミハイールのアレクサンドロヴィチ兄弟と戦っている。ミハイール・ヴァシーリエヴィチの結婚も、モスクワとの関係強化の一環であった。
ミハイール・ヴァシーリエヴィチが結婚した1349年(あるいは1348年)、父がトヴェーリ大公となる。おそらくこれにより、父は居をカーシンからトヴェーリに移し、長男であるミハイール・ヴァシーリエヴィチをトヴェーリに伴ったのであろう。同時に分領カーシンには、次男のヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチを残したということであろう。
ところがヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチは1362年に早世。ミハイール・ヴァシーリエヴィチがカーシンに赴いた。
父のトヴェーリ大公位は安定せず、アレクサンドロヴィチ兄弟との対立が続いていた。しかしこの間、ミハイール・ヴァシーリエヴィチはこれといった活動をしていない(少なくとも記録上は)。1368年に父が死に、ミハイール・ヴァシーリエヴィチがカーシン公家の当主となったが、その後の事績も知られていない。