フョードル・ミハイロヴィチ
Федор Михайлович
ミクーリン公 князь Микулинский (1399-1407)
生:?
没:1407頃
父:トヴェーリ大公ミハイール・アレクサンドロヴィチ (トヴェーリ大公アレクサンドル・ミハイロヴィチ)
母:エヴドキーヤ (スーズダリ公アレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ)
結婚:1390
& アンナ (フョードル・アンドレーエヴィチ・コーシュカ)
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
アンナ・フョードロヴナと | |||
1 | アレクサンドル | -1435 | ミクーリン |
2 | フョードル | -1455 | ミクーリン |
第15世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
ミハイロヴィチ兄弟には不明な点も多いが、父の存命中、カーシン公位がアレクサンドル、ボリース、ヴァシーリイと継承されたので、おそらくこの3人はこの順番だったのだろう。トヴェーリ大公位を継いだイヴァンが長兄だとすると、ただひとりカーシン公位と無縁だったフョードルはおそらく末弟だったのだろう。
だとすると、ヴァシーリイの生年が1364年とされているので、フョードルの生年はそれ以降ということになる。
1390年頃、結婚。相手のアンナ・フョードロヴナはモスクワ貴族の娘。ちなみにフョードル・コーシュカの7世代後がミハイール・フョードロヴィチ・ロマーノフ。
1399年、父が死去。フョードル・ミハイロヴィチが分領ミクーリンをもらったのは一般的にこの時だとされている。末男とはいえ、ちょっと遅すぎる気もする。
トヴェーリ大公位は長兄イヴァン・ミハイロヴィチが継いだ。すぐ上の兄のカーシン公ヴァシーリイ・ミハイロヴィチがこれと対立するが、この時フョードル・ミハイロヴィチも長兄と対立したらしい。
1406年、モスクワ大公ヴァシーリイ1世に従い、リトアニアと戦うために出陣する(が戦闘はおこなわれなかった)。
没年は1410年とも言われる。